魚村 晋太郎


いびつなる三叉路に立つ風の夜いづれの道もわたくしを呼ぶ

小川真理子『母音梯形(トゥラペーズ)』(2002年)

三叉路、丁字路、十字路。交差点にもいろいろある。
三叉路は、そこで道が三方向に分かれる場所。来た道を別に考えると四つ角の変形になるが、ふつうはYの字のかたちの交差点を指すことが多い。

十字路や丁字路で道に迷う人は、単純に道に迷っている人である。
それぞれの道ははっきりと別の方向につづいているからだ。
三叉路の場合、来た道は別にして、分かれた二つの道は、どちらも進行方向であるし、また、どちらも今まですすんで来た方向から微妙にそれる。
一首には、いびつな、とあるが、三叉路とはもともとやっかいな岐路なのだ、ともいえる。

主人公は、風の夜の三叉路に立っている。
連作のなかでは春の歌の間にある一首だが、一首独立で読んでも、吹く風が夏や冬の風でないことは感じられるだろう。
ここちよくそそのかすような、そしてすこし強い風。
もちろん一首は、単純な実景ではなくて、ある決断や選択をせまられた主人公の状況を暗示しているのだが、そんな夜風のなかに立つ主人公のからだの感覚を感じなくては一首の機微をじゅうぶんに味わうことはできない。

生きていると、さまざまな岐路に直面する。
どの道にも拒まれているように思うこともあれば、ときには、どの道も自分をいざなっているように思えて迷うこともある。
ぜいたくな悩みのようにも思えるが、人は未来を知らぬままたったひとつを選ぶほかない。
いびつなる、という初句には主人公の逡巡のにがさがにじんでいる。
若い日日のあてどのなさが、読者の胸にもよみがえってくる。