澤村 斉美


底ごもる地下鉄の音過ぎゆくを跨ぎて暗しわれの家路は

小野茂樹『羊雲離散』(1968年)

小野茂樹といえば相聞歌「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」があまりにも有名だ。この歌が収録された第1歌集『羊雲離散』は確かに恋の歌が多く、若さゆえの痛みや高揚が美しく歌われている。一方で気がつくのは「あの夏の・・・」のような、思いがまっすぐな叙述に結実した歌が意外に少ないということだ。見えてくるのは、都市生活者の憂鬱な気分である。具体的に何がということは述べられていないが、生きることに伴う憂鬱が、屈折のある文体で伝わってくるのだ。

 

掲出歌はその一つ。歩いて家に帰りゆく人は、足元の見えない地下に、地下鉄の音を感じとっている。「底ごもる」には、見えないけれど確かに響きをもつものへのかすかな恐れがにじむ。それを「跨ぐ」自分を危ぶんでいる。 ほかにも例えば次のような歌がある。
 

 知らざりし身の重さにて夕日射す煉瓦の坂を影踏みくだる
 あれはたしかに地をのがれゆくひびきにてあけぼの遠き路上の音す

 

1首目は坂道を下りつつ、身体の重さに気がつく。背後から夕日が射し、自分の前、つまり坂道の下り方向に影ができている。「煉瓦」敷きの道が、影をいびつに見せていることだろう。2首目は、明け方、部屋の中にいて外の音を耳にしている。車が走り始めるなど、1日の始まりのまだ何の音ともつかない町の音を「地をのがれゆくひびき」という。「地」つまり「この世」をのがれてゆくひびきとして把握すること自体、生の憂鬱の表れだろう。

 

青春の高揚と生の憂鬱を都市の風景に刻印するように小野茂樹は詠っている。このような詠い方が、人の生きる都市を、町を豊かにするのだと思う。言葉はその豊かさを作りだし、耕すことができるはずだ。