清らかにカンガルーポケットに指かけてああ服の下には体があるね

飯田有子『林檎貫通式』(2001年)

「清らか」「カンガルーポケット」は幼い少年少女をおもわせる。
「カンガルーポケット」とは、ヨットパーカーやエプロンなどの胸のあたりに付いているポケットのことだろう。そこに指をかけている。それもすこし幼いしぐさだ。

ところが下の句には、息づく肉体がすっぱりと指摘される。
ここであらわれる無垢な少年少女の肉体は、冷たく清らかなものであってもいいはずなのに、
なぜか性愛をおもわせる熱さがある。なぜか。
それは「ああ」という<声>のせいだ。

音数をいえば、三句目と四句目の間の「ああ」は余分だ。「ああ」がなければすっきりとした定型になる。
なのにわざわざ「ああ」という溜息のような驚きのような、<声>が挿入されている。
それによって平面だった場面が、にわかに立体的になる。
つまり、「服の下には体があるね」という下の句が、客観的なものから主観的なものになるのだ。

少年少女のアンバランスな魅力をひきだした、どきどきする歌である。

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