澤村 斉美


途方もなく高き暗黒より落ちて来る雨水がただにデモを濡らしぬ

島田修二『花火の星』(1963年)

デモをする人らを雨が濡らす。声を上げて主張する集団の姿が、この歌ではどこか無残な景色として捉えられている。上句で雨を降らせる空が「途方もなく高き暗黒」と表されているが、デモの先行きの知れなさや不幸な結果、デモに覆いかぶさる得体の知れない圧力などの、暗い予感がこの上句から読みとれる。

 

『花火の星』は1957年から1962年に至るまでの作品から成る第一歌集である。掲出歌はこの間の1960年の安保闘争に際して詠まれたものと思われる。島田修二は新聞記者として勤めていた。この歌を含む一連「眼と思想」には次の歌が並ぶ。

 

  われをへだて燦きてゐる新緑ありいま暫くの過渡期を待たん
  渡されしビラの文体しらじらと解釈を強ひて問ひを許さぬ
  幾万の人ら集ひて示威なすを病む者ら家に何思ひゐん
  天分を持つと思ひてよきものか対峙して最前列の青年ら
  
  暗き力に鬩(せめ)ぎ合へるをみてをりて絶望といふ誘惑があり
  いのち守らんための抗議に処女死にて原理論絶ゆ駅までの道に
  
  「延期」といふ二文字を持つ酷薄の活字の重みに瞬時遊びき
  あらあらと無線車(ラジオ・カー)告ぐる現実が真四角の紙面に収まるものか

 

はじめの4首から、島田が運動に対して距離をもち、冷めた目で見つめていたことが分かる。次の2首は、どうしようもなく暗い力のせめぎ合いとその犠牲を前にして、絶望しそうになる心を詠う。さらに次の2首では、新聞が使う言葉の欺瞞性と限界を自覚している。社会を冷静に見つめ、自らの仕事とする新聞をもこのように冷静に見つめ、生きるのがつらくはなかっただろうか。つらいには違いないだろうが、しかし、そうでなければ島田修二という人ではなくなる。歌集の一首一首を、島田修二が世に刻んだ強靭なまなざしとして読むのである。