澤村 斉美


さよならのこだまが消えてしまうころあなたのなかを落ちる海鳥

笹井宏之『てんとろり』(2011年)

「さよならのこだま」は、「あなた」と「私」でさよならを言い合っているところとして読んだ。重大な別れではなくて、ごく普通に「じゃあ、また」「またね」「さよなら」「さよなら」と言い合って別れる日常の場面を私は思い浮かべた。別れた後も、しばらくは「さよなら」と言い合った余韻が「あなた」と「私」それぞれに残っている。そこまでを「こだま」として捉えてよさそうだ。そのこだまが消えてしまうころ、とは、どうしようもなく寂しい一瞬だ。「あなた」と「私」が、お互いのことを忘れて一人に戻る瞬間を捉えている。

 

さらに読めば、「あなたのなかを落ちる海鳥」というふうに、「私」は「あなた」のことを想像しているのだから、「あなた」のなかで「私」の存在感が消える瞬間の絶望に近い寂しさが、「落ちる海鳥」に象徴されている、と言ったほうがいいかもしれない。「あなた」のなかでの「私」の存在感があっけなく、はかなく消えることが、あっという間に空を滑り落ちるように過ぎる海鳥で示されている。

 

「あなた」と「私」が一緒にいるときはお互いの存在をそれぞれ受けいれている。しかし、目の前からいなくなり、相手の気配も間もなく消えてしまい、「あなた」の心のなかの「私」はいなくなる。それはしかたのないことで、生活のなかでごく普通に行われている、自然な心の動きだ。だが、笹井宏之はそれを「しかたない」こととはせずに、寂しい、と声を上げた。歌集『てんとろり』は、皆が押し隠し、ないもののようにして生きている孤独な瞬間について、「寂しい」と声を上げ、きちんと絶望している。