黒瀬 珂瀾


長き貨車だらんだらんと出て来たるトンネルのごと我が哭きおり

奥田亡羊『亡羊』

 

砂利や木材などの荷物を山と積んで、引かれてゆく貨車。時にはガソリンや液化ガスを運ぶタンク車が連なることもある。実際、車列を見送ってみれば分かるが、貨車の列はかなり長く感じる。荷物を積むためか、貨車は旅客列車よりもゆっくり走っている気がする。それで駅を通り過ぎるのに時間がかかるというのは、僕の思い込みだろうか(もちろん大量輸送の必要があるから、実際に旅客列車よりも長いのかもしれない)。

 

だがこの歌を読むと、その感覚もあながち間違いじゃないと思う。「だらんだらん」という表現は、長い長い貨物列車がゆっくりと走り去ってゆくさまにぴったりだ。「長き貨車」がトンネルからいつまでも出続ける。そして、このトンネルのように、私が泣いているという。ここには二重の比喩がある。一つは、私がトンネルのようだという比喩。大きく口を開けて泣いてるのだろうし、山腹に開くトンネルはどこか、ほうけた顔のようにも見える。作者が自分をそう客観視しているのか。

 

そしてもう一つが、《悲しみ》が「長き貨車」のようにだらんだらんと、私から放たれ続けるという比喩。それは口というトンネルから出てくる泣き声かもしれないし、もっと広い意味での悲の感情かもしれない。だらんだらんと悲しみを放つことは、単に「泣く」ということではなく、「哭く」、つまりは慟哭なのだろう。これこそ男泣きと称されるものではないか。

 

   はちみつの中をのんびり上りゆく気泡ありたり微かなる地震(ない)

 

作者の筆名は「亡羊」。亡羊の嘆、多岐亡羊というように、真理を得難いことや、どうすべきかわからないことの例えだ。それを筆名とする作者は、だらんだらんと続く悲しみや、のんびり上りゆく気泡にじっくりと付き合う。そうすることで、どうすればいいかわからない生を、ありのままの形で受け入れようとしているのかもしれない。