魚村 晋太郎


三月の暦が壁にぶら下がる君の部屋より見ゆる葉桜

武藤雅治『暗室に咲く白い花』(2007年)

俳句では、晩春に散り残っている桜を残花、初夏になっても咲いているものを余花という。
葉桜は夏の季語で、花を終えてこんもりと青葉をつけた桜の木をさすが、日常会話では、葉桜になってきた、などと残花に近い意味で使われることもある。

一首の葉桜も、残花に近い意味だろう。
散り始めたと思うと、桜はあっという間に葉に覆われてゆく。
それにしても三月の葉桜とは、と一瞬立ち止まってしまったが、暦はたぶん「君」がめくり忘れていたのだ。
年度替りは何かと忙しい。職場のカレンダーはきちんとめくっていても、自宅のものはついめくり忘れたままになったりする。

「君」はまだ眠っているのか、買い物にでも出かけたのか。
主人公はひとりぼんやりと、「君」の部屋の窓から盛りをすぎた桜の花を眺めている感じがする。
夫婦であれば、めくり忘れた暦は、気づいた方がめくればいい。恋人同士であっても、そのままにしておけず、勝手にめくってしまう人もいるだろう。
三月の暦をそのままにして、窓を眺めているところに、お互いの仕事や私生活を尊重してつきあうふたりの、現代人らしい距離感が表れている。

めくり忘れた暦、葉に覆われはじめた桜。
一首には春の盛りから晩春への時間の経過がきりとられている。
主人公と「君」は、たぶん短い付き合いではない。ふたりの間柄は、心地よい関係とも言えるし、とらえどころのない関係ともいえるだろう。
ふたりで過ごした日日、そしてこれからのふたりの行く手への主人公の思いが、葉桜の向こうに淡くたゆたっている。