澤村 斉美


あたらしき連れあひに媚ぶるマレー熊の映像見てをり愉快にとほく

島田修三『蓬歳断想録』(2010年)

島田修三の歌には、不機嫌な歌が多い。その不機嫌には妙に納得させられる。至極まっとうな不機嫌であるような気がするのだ。

 

野生のマレー熊の生態を取材したドキュメンタリー番組を見ているところか。マレー熊が、番いの相手をあたらしく得て、その相手に媚びているという。「連れあひ」や「媚ぶる」という言葉からは、マレー熊の行動が人間くさく捉えられていることが分かる。結句「愉快にとほく」と表された気持ちが非常に複雑で、マレー熊の映像を見てわき起こったもやもやとしたものは「愉快にとほく」としか言いようがない。映像に対して幾重にもはたらくアイロニカルな視点のゆえだろう。

 

マレー熊にしてみれば、繁殖のためにあたらしい相手となじむべく努力をするのは、ごく自然な行動で、いのちの必然である。ところが、映像とそれに付けられたであろうナレーションは、マレー熊の行動を人間の視点から説明する。連れあい、媚びる、というふうに人間になぞらえた説明は、分かりやすくするための方法とはいえ、結果的にマレー熊の実態を遠ざけるレトリックに過ぎない。とはいえ、番組の伝えるマレー熊の人間くささにふと納得させられ、「人間も、知的にふるまってはいるが、露骨なまでに素直に媚びる、そういうところあるよな」と思わされてしまったのではないか。

 

マレー熊を通して人間をアイロニカルに見る。さらに、番組の術中にはまってマレー熊に心を動かしている自分をアイロニカルに見る。アイロニカルな視点の連鎖が、作者を「愉快にとほく」の心に追いやる。知的にものを見ることに伴う憂鬱が、結句でさりげなく吐露されている。