黒瀬 珂瀾


稲妻が海を巨いなる皮として打ち鳴らしたる楽の一撃

奥山心 (NHK BS2「ニッポン全国短歌日和」 2010年10月24日放送分)

壮大な景が一読、目の前に立ち現れる。激しい嵐に波うつ黒い海原。その薄闇の中に、一瞬の雷光が走り、腹に響くような轟きが伝わってくる。そんな劇的な海の光景を、ロマン主義絵画、例えばターナーのように、一瞬の絵画として切り取った歌のように思う。この独特の躍動感は、光景を緻密に写生する方法では、描けない性質のものだ。海の嵐という現象をそっくりそのまま、いったん比喩の世界に託し、心象の風景に異化させることで、自然の神秘性をよりいっそう深く描くことに成功している。

ここでは海原を打楽器の皮、例えばティンパニの皮に見立て、そこに突き刺さる稲妻をマレット(ばち)に見立てている。そして結句の「一撃」という、嵐のイメージからも、音楽のイメージからもやや跳躍した一語が、実に効いている。この壮大なるティンパニの一撃を打ち鳴らしたのは誰か、それは大自然であり、神かもしれない。先に僕はターナーの名を出したが、まさにターナーが光の明暗だけで海を描きだしたように、嵐の大海原を抽象化することで、よりヴィヴィッドなイメージを歌にしている。

「どうせ」って言葉何回使ったろう目をつむっても鷹がみえない

エア・恋人。春のミスタードーナツの空席に向かい話し続ける

夜ひらくドアの向こうに病むものの頬のさびしさ くうはくは闇

今年に入ってからの「未来」誌から引いた。掲出歌とは対照的に、これらの歌は内省的でナイーブな青年の繊細な自意識を伝えてくる。なにか、青年期特有の痛々しさも感じられ、そこにまた読者は心を動かされるだろう。最後の歌の「くうはくは闇」という結句も、青年が心に抱えた虚無を思わせつつ、どことなく冒頭の掲出歌の、抽象化された海原の景に重なる気もする。闇に開く小さなドアと、雷鳴轟く海の一瞬は、同じ精神から生まれた表裏一体のイメージなのだろう。

追記
この月曜、彼の訃報に接した。23歳はあまりにも若い。個人的な動機をこの「日々のクオリア」の選歌に持ち込むべきではないだろうが、読者諸賢宜しくこれを諒とせられたい。