黒瀬 珂瀾


おみなにはなき愉しみに髭撫でて近代という男の時代

久々湊盈子『あらばしり』

森鴎外、伊藤博文、板垣退助、大久保利通、山形有朋、小村寿太郎、明治帝、なんとも近代の男は髭が立派だ。富国強兵を唱えたビスマルクにあこがれたとか、ちょんまげの代替行為だとか、いろいろ説はあるが、一種の流行だったのだろう。しかし髭を蓄えるのは高官や著名人、碩学、実業家の面々で、下流庶民が髭を伸ばしても、「大した地位でもない癖に」と揶揄されるのが関の山だったとも聞く。真偽はいかに。

髭を撫でる、つまり髭を自慢することは、男だけの愉しみだった。これは決して生物学的な男女差の問題ではない。先に言ったように、「大した地位」を誇示できる立場、つまり、男尊女卑の家父長制度の社会における男女差の問題である。近代とは、男性が髭の愉しみを満喫する世界であった。ここには当然、髭が少なくなった現代の男への感慨もあるだろう。髭を撫でる男の、家父長としての横暴な振る舞いが過去の遺物となりゆき、その分、家長の威厳も責任も矜持も軽くなった。「おみなにはなき愉しみ」という表現のせいか、作者は「近代」の男にかすかな憧憬を抱いているようにも感じられる。

  香りたつ「八海山」のあらばしり暖簾の外は春の雨です

新潟の銘酒「八海山」。その醪(もろみ)を搾った最初の「あらばしり」を愉しむ図。これは当然、おみなにもある愉しみ。上句の男性的なキップの良さと下句の女性的な抒情を見るうちに、作者の男性への思い入れが、なんとなく透けてくる思いがする。

編集部より:歌集『あらばしり』を収録した『続 久々湊盈子歌集』はこちら↓

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