さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく

望月裕二郎『ひらく』

 

なんなんだ、この感覚。荒唐無稽なナンセンスとして、忌避する人もいるだろう。だがこの一首はゼロ年代口語調短歌の記念碑的作品ではないか、と僕は個人的に思いこんでいる。上句の「さかみちを全速力でかけおりて」の平仮名と漢字の配合の絶妙さ。「さかみち」という平仮名の脱力さと、「全速力」という力みようの差が明確だ。「全速力」を漢字で強調することで、この箇所だけ黙読の速さが高められる。ここには意味、韻律、表記という複層的な緩急の対照がある。

 

その全力疾走の結果が、「うちについたら」というのも妙におかしい。「うち」という砕けた会話調の語句が、「全速力」の緊張感をぶち壊す。かと思ったら次には「幕府」という大仰な語句が現れ、何事か?と思わせておいてとんでもない地点に着地する。「幕府をひらく」とは、武家の棟梁として政権を打ち立てる壮大な営為だ。実際、過去に幕府を開いたのは頼朝、尊氏、家康の三人しかいない。しかし作者は、全速力でうちまで駆け下りた勢いを借りて幕府をひらくのだという。きっと、うちの中で開ける、小さな自分だけの幕府なんだろう。

 

壮大な営為をそのまま、小さな個人内面の営為に転換させてみせる。歌全体に仕掛けられた複数の「対照性」が一つとなって生み出した効果だろう。そしてその背後には、社会性の向上と栄達を至上とする従来の価値観を全速力で走りぬけようとする青年の感覚が見える。幕府は一人で開けばよいのだ。

 

  もう人とはなさなくてもいい馬の延長としてかたむける耳

  ぬけては生える中学生じゃあるまいしわたしに助詞をおいていいです

  雨音の届かない部屋で膨らます僕たちアフリカのイメージを

  数多ある競合他社に打ち勝った枕で今日も眠らんとする

  ボンドとボンド・ガール以外はみんな死ねそこから人類やり直せばよい

 

望月の歌は、ぶっきらぼうな口語調表現を洗練させることで、奇怪な笑いを呼び、そこに世間や常識への攻撃を注ぎ込んでくる。これらは単純なシニカルさや警句性を超えた、「生きるという問い」に挑む青年の歌に他ならない。

 

追記 望月裕二郎歌集『ひらく』は大学の卒業制作としてごく小部数製本されたという。PDF版が以下のURLで公開されているので、ぜひご一読を。http://hriaku2.web.fc2.com/hiraku.pdf

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