三年ガラス拭かぬわれが日に五たび床を拭き床に映る鳥影

酒井佑子『矩形の空』(2006年)

この歌を人に薦めたところ、「どう区切って読むのか」と戸惑われたことがある。

  三年ガラス・拭かぬわれが・日に五たび・床を拭き床に・映る鳥影

あえて区切ろうとすれば、上のようになるだろう。音数は、7・6・5・8・7だ。第3句以降はほぼ短歌定型どおり。音読をするなら、あまり区切りは意識しないで、特に字余りの初句、字足らずの第2句は無愛想に散文のごとく読むのがいい。「日に五たび」を読むあたりで定型の気配が表れ、第4句の字余りで粘りがでる。結句は定型どおりで堂々と締まる。

 

どんな場面なのだろうか。一心に床を拭いているのだろう。床に向かいながらふと窓ガラスが目に入り、ガラスがよごれているのに気がついた。そういえば、もう3年ほどガラスを拭いていないなあと思う。床なら日に5度も拭いているのだけど、と、なおも床を拭きながら思う。そこを鳥影がさっとよぎる。

 

そのように読んで、歌の語順と思考の順がかならずしも一致していないところが面白いと思った。実際には、床を拭きながら「そういえば3年ガラスを拭いていない……」とつらつら思い起こしているところを、「三年ガラス拭かぬわれ」とのっけから規定するのである。「三年」「日に五たび」という具体的な数字も、「そういえば……」と思い起こして気がついたものだろう。だからこの歌は、単純に床を拭いている歌のようであって、実はつらつらと思考する時間をも含んで、ふくらむ歌なのである。破調で歌の滞空時間が長くなっていることにも納得がいく。結句の、床に映る鳥影が、その影だけが実体として確かなような、しかし幻でもあるような、不思議なアクセントになっている。

 

 電柱の複雑のうへ身を平(ひら)めああと啼く烏見てさへさびし

 

同じ歌集から「烏」の歌を。「電柱の複雑」が言い得て妙だ。烏が「身を平め」というのも、簡潔ながらいかにも烏らしい描写でとても良く、掲出歌とともに私が好きな1首である。

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