山城のみづのみ草につながれて駒ものうげに見ゆる旅かな

西行『山家集』

詞書がある。

  〈西の国の方へ修行してまかり侍るとて、美豆野(みづの)と申す所に具しならひたる同行の侍りけるに、「親しきものの例ならぬこと侍る」とて具せざりければ 〉

西の国の方へ修行の旅に行くつもりで、いつも同行する友が美豆野にいるのだが、その友が「親しい者に病がありまして(私は旅に行くことができません)」と言って一緒に行かなかったので、という。ここでいう西行の友は西住という僧侶で、西住には妻があったらしい。妻の病気のため、西住は修行の旅を諦めたようだ。

 

「みづのみ草」は、「美豆御草」か。「美豆御牧(みづのみまき)」なら和歌に出てくることがある。ただし、「美豆」という地名と「美豆野」という地名は別ものなので、はっきりとしたことはわからない。友が旅に同行しないことになり、「みずのみ草」につながれている馬は「ものうげ」な様子である。「駒ものうげに」は、西行の心を示しているともいえるし、旅に行けなくなった西住の心を示しているともいえる。

 

塚本邦雄『西行百首』(2011年、講談社文芸文庫)を読んでいてこの歌に出会った。「駒ものうげに」は塚本が「秀句」としてほめているところだ。「願はくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」などの西行の有名歌や勅撰集入集歌を、塚本は毒舌を極めて批評している(「凡作」だのなんだの)。その中にあって、掲出歌は温かい口調で読まれている。「駒ものうげに」の読みを引用してみよう。

  〈その駒は、心なしか西住に面影を借りてゐるやうにさへ見える。いくら病気とは言へ、自分と天秤にかけられたことは、西行自身寂しかつたと考へても、さして間違つてはゐまい。妻に縛(つな)がれてゐる西住の、何となく面映げな同行遠慮の言辞が、西行にはものたりなかつたのであらう。「ものう」かつたのは西行の方でもあり、「旅かな」の結句四音もうるみを帯びてゐる。 〉

西行の物語と塚本の読みを併せ、「駒ものうげに」の憂いと、西行および西住の表情のよどみに魅かれる一首だ。

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