前田康子『ねむそうな木』1996年
花水木はおとなしく、清楚な木だ。
春にピンクや白の苞葉につつまれた花をたくさんつけて、一時、華やかになる。
そんな華やかなときにでも、苞葉が風にひらひらとしてなんとなくさびしそう。
「君」が見上げていた花水木にも花が咲いていたのだろう。
何か伝えたいことがあるようなのに黙っている「君」。黙って花水木ばかり見上げている「君」。
「いつまでも」という言葉に、ふたりの沈黙の時間が短くはないことがわかる。
そして、私は、「君」を見つめているわけではなく、「君の向こう」の背景に焦点をあてる。
それは、「君」が立っている絵を見ているようでもある。
そうすると「一人」という言葉も、決してさびしいものではなく、幸福感さえ感じさせる。
しずかな「君」の心を見つめるために、<君がいる風景>を見つめている。
「君の向こう」を見つめる目は、「君」自身を見つめる目よりも、愛を多く湛えている。