黒瀬 珂瀾


地球規模で淋しいのですアボカドの茶色の種がなかなか取れず

中川宏子『右耳の鳩』

 

それにしても意表を突く初句。「地球規模」とはずいぶん大きく出たものだが、そんな淋しさとはどれほどの孤独感なのだろう。それはともかく続きを読めば、アボカドの種の話。緑色の果実の中心には、大きな丸い種がある。そのため、アボカドを綺麗に切り分けるのはちょっと面倒だ。割れ目を入れて手で裂こうとしても、柔らかな実が崩れたりして、中心の種がなかなかえぐりだせない。まるで、心の奥に巣食っている悩みの塊が、どうしても取り出せないかのようだ。

 

アボカドの種をえぐり出そうと一人、台所で苦闘している。その時ふと、自分の姿の愚かしさに気付いたのか。日常の些事に追われる中で、どうしようもない淋しさを感じた。いやむしろ、淋しさに襲われた、覆い尽くされたという方が正しいかもしれない。なにしろ「地球規模で淋しい」のだから。この壮大なスケール感が「淋しさ」という個人の感情と取り合わされ、さらにそれが台所の風景にまで繋がるところに、短歌の不思議さがある。個人の日常は、あくまでも日常でしかないが、個人にとっては世界のすべてだ。するとなんだか、緑の実に埋め込まれた茶色の種も、宇宙に浮かぶ小さな地球に見えてくる。種はこのとき、「世界」のシンボルだ。

 

  ふるさとは日傘の骨をたたみゆくその優しさで降りくる光

  祝電のやうに真白き鶺鴒が前をよぎりて桜木(さくら)に止まる

  若き母美しかりしよ父と並び昏き婚への入り口にゐて

 

私たちは日常を生きながら、世界を生きている。世界の細部にはさりげない光や福音たちが訪れ、そして人の生を別の視点から眺めさせたりする。細部を見ることで、地球規模の感情に繋がることだってできるのだ。

 

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