白桃の和毛(にこげ)ひかれり老いびとの食みあましたる夢のごとくに

米口實『流亡の神』

 

やはり、齋藤茂吉の「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」を思い出す。このとき茂吉は五十代前半だが、老いよりもむしろ底深い生命力を思わせる。それは掲出歌の作者も意識しているのだろう。茂吉は桃を食べつくしたが、こちらは食べつくせない。無論、この「老いびと」が作者本人と断じることは出来ないが、「老いびと」に近しさを感じる地点に作者が立っているとは読めるだろう。

 

白桃の表面は細かく柔らかな毛に満ちていて、誰しも人の肌を思い起こす。「和毛(にこげ)」とは獣や人の産毛、柔らかな毛を指すから、作者もその意味を込めているだろうし、ストレートにいえば、女体の性的なイメージがある。老人にとってはもはや、この白桃の女体は、口にすることのできない幻だということだろうか。悲観的ではあるが、「食みあましたる夢」という表現にはどこか、ユーモラスな響きというか、達観がある。そこでは「食むことができない」ことを、「老いびと」の一つの個性として見ている。つまり、「死の近づき」もまた良きかな、という詩性だ。

 

  夜の露の冷えくるころぞ水死者のやうにいろ褪せてゆく百日紅
  わが生も残りすくなし庭石に散り溜りゆく朱(あけ)の花びら

 

本歌集は作者85歳での第四歌集。一首目、大震災後の今となっては、発表時とはまた違った意味が生まれるだろうが、記憶から薄らいでゆく死者への静かな別れを思う。百日紅、すなわち、さるすべりの鮮烈な朱が色褪せる中には、鎮魂の思いもあるだろうし、二首目のように、それは己の命も含む。老いびとの夢の内側には、死に親しむ心がある。

 

  風はやさしく唄つてくれたこれからは死ぬことだけが俺の仕事だ

 

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