寝室に行けばわれよりも早く来てベッドに待てる月光に触る

伊藤一彦『月の夜声』

 

大人のエロティックさ、というのはこういう歌を指すのだろう。もちろん、歌中にいるのは、〈私〉ひとりきり。そういう意味では孤独な歌だ。だが、孤独だからこそ、空間にみなぎるエロスの気韻に気付くことが出来る。窓からしなやかにベッドにそそぐ月光は、かそかな吐息を思わせ、また、幻の女体を思わせる。まさに月光に濡れた空間だ。

 

その月光が、誰よりも先にベッドに入って、私を待っているのだという。その明かりにそっと手を触れるさまは、まるで月光と睦み合うかのようだ。月が昇ってから、何も言葉を発さず、じっとベッドの上で〈私〉を待ち続けていた月光。そこには、月光と向き合う人間として、己が選ばれたかのような、一瞬の誉れを錯覚させる、甘い空間が広がっている。「寝室に行けば」というさりげない初句と、その後の甘やかな部分とのギャップが印象的だ。ここには、寝室に入った瞬間に、ベッドに寝そべる月光を発見した驚きの大きさが感じられる。

 

そしてすぐさま己もベッドに入るのではなく、その前に一旦休止をおくような「触る」という動作が、 〈私〉の感動をより深く表現する。一人で寝室に入る私の孤独と、その私を待っていてくれた月光に気付いた喜び。ベッドに零れる月明かりにそっと手を伸ばすしぐさは、やはり、この上なくエロティックである。

 

  墓石と竹藪照らししづかなり月を離れし月の光は

  バス停に忘れしカバン取りに行けばわれを忘れて静けきカバン

 

月自体を女体と見立てることは多いだろう(日本神話では月読は男性神だが)。伊藤はさらに一歩詩情を深めて、月と月光をそれぞれ別の存在として歌う。月を離れた月光は、月光という人格として〈私〉の前を訪れる。そしてカバンもまた、一人の人格として〈私〉と対峙している。「東京に捨てて来にけるわが傘は捨て続けをらむ大東京を」(『森羅の光』)からの遠い時間を思う。

 

 

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