区役所の窓口に立ちなんとなくたみくさの感じにぎこちなくをり

小島熱子『りんご1/2個』(2011)

※「たみくさ」に傍点あり

 

たまに区役所にでかけると、何も悪いことはしていないはずなのに、そこはかとなく居心地の悪い気持ちになる。戸籍や年金関係など、区役所で行う手続きはどれも国のシステムと直結していて、当たり前だが普段はあまり意識していない事実――私はこの国の一員であり、この社会のシステムにしっかり組み込まれて生きている、ということを、否応なく認識させられるからだろう。

この歌は、そうした「ぎこちなさ」を的確に掬い取っている。

「なんとなくたみくさの感じに」というあやふやさが、いかにも区役所にいるときの「あの感じ」らしい。「区役所の窓口」までは漢字が多く、「なんとなく」以下はほとんどひらがな書きになっているのも、意図的なものだろう。

やや大時代的な「民草」という単語を(傍点付きで)用いることで諧謔味が強調されているが、その一方で、自分が本当に一本の「草」として立っているような不安も感じられる(強イ風ガ吹イタラ、ミンナ同ジ方ヘト靡イテシマウノカシラ)。

 

小島熱子の歌は、知的な比喩とダイナミックな状況把握が共存しているところが特徴。

 

はるのくもゆるらにながれ若き日とおなじ書体に文字を書く夫

ゆうらりとほうたる飛べば〈う〉の音は夢二のをみなの撫で肩のやう

あの子が あの人になつて偉くなつてそして突然死んでしまへり

※「子」と「人」に傍点あり

 

一首目は、春の雲と夫の文字との取り合わせが良い。丸みを帯びた優しい文字を思い浮かべると同時に、夫婦が共に過ごしてきた歳月の豊かさに、ほっこりする。

二首目。「ゆらり」「ほたる」と「ゆうらり」「ほうたる」とでは、〈う〉の分だけ後者がゆったりして見える。たゆたう時間を「夢二のをみなの撫で肩」と表現したところがユニークだ。

三首目。かつて「あの子」と呼んでいた人は、子供の頃からの知人だったか、それとも年下の人だったのか。「偉くなつて」というフレーズに込められた微量の毒が、あっけない死によって宙に浮いてしまうのが哀しい。「あの子」は「あの人」へと成長し、いつしか疎遠になっていったが、死の報を受けたとき語り手が咄嗟に思い浮かべたのは、初めて会った頃の「あの子」の姿だったのではないか。

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