竹群の霜とけて日にかがよへり無数なる童謡うまるるごとく

宮柊二『日本挽歌』(1953)

 

鬱蒼とした竹林に、斜めから差しこんでくる光。一面を覆っていた霜が溶け始め、きらきらと輝いている。多幸感に満ちた、朝の風景である。

4句目は「無数なる童謡」と9音。たっぷりとした字余りによって、「無数にうまるる」イメージが、より際立っている。

「無数なる○○うまるるごとく」の○○部分を考えてみる時、「童謡」はちょっと意外な選択なのではないか。たとえば「無数なる声」とか「無数なる歌」とかだったら想像しやすいが、「童謡」は一度にたくさん生まれにくい気がする。

しかし、歌集ではこの歌の前に

 

  この朝に風にし騒ぐ竹群を不思議と見をり言葉無く子が

  この国のいかなる思想にこころ寄せ育ちゆく子か赫映姫(かぐやひめ)も知らず

 

が置かれていて、なるほどと思う。幼い子を慈しみ、その成長に思いを馳せていたからこそ、こういう比喩が出てきたのだろう。

もっとも、「童謡は一度にたくさん生まれにくい」というのは、今日的な感覚なのかもしれない。戦後のこの時期は、本当に、子供のための歌が次々と作られていた。まどみちおの「ふしぎなポケット」は1954年の作品。そういえば、あれも「無限にビスケットが増える」歌だ。

 

宮柊二が1951年から56年にかけて住んでいた家の前には、竹林が青々と広がっていたという。『日本挽歌』には他にも、

 

  あたらしく冬きたりけり鞭のごと幹ひびき合ひ竹群はあり

  竹群に朝の百舌鳴きいのち深し厨にしろく冬の塩

  生きもののごとき艶出て竹の根は春さりし道のうへにあらはる

 

など、竹を詠み込んだ美しい歌が幾つもある。「冬の塩」の歌は、結句が2音欠落していることで、「無数なる童謡」とは逆に、緊張感のあるリズムになっている。

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