石川 美南


嬉々として人々は見きX線通したるみづからの手、足、頭

大口玲子『ひたかみ』(2005)

 

100首からなる大連作「神のパズル――100ピース」は、執筆当時(2004年末)からスタートし、1895年11月、ウィルヘルム・レントゲンがX線を発見した日まで、時代を徐々に遡る構成になっている。原子力発電所内の見学、胸部X線撮影、そして原爆など、様々な文脈がつなぎ合わせられ、一世紀余りの原子力の歴史が重層的に描き出されていく。

この歌は、連作の終わり近くに置かれており、「一八九六年五月、トーマス・エジソン、ニューヨークの電灯協会博に螢光透視鏡出品」という詞書が付いている。放射線が発見されて間もない頃の一エピソードだ。

目新しい発明品を珍しがり、自分の身体の一部を映してみては喜ぶ人々。彼らは、放射線の持つ科学的な意義をまだ十分には理解していない。ましてや、その危険性のことなど、誰が考えただろう。

もちろん、当時の「人々」がとりわけ無邪気だったという訳ではない。物事の始まりはいつだって、こんなささやかな場面から始まる。私たち、いや、私も、現在進行形で同じ振る舞いをしているのでは?

 

     放射線測定器

  大いなる砂時計ありいつか世界のガイガー・カウンターの針振りきるる

  眼鏡落とさぬやうに幾度も言はれつつ燃料プールを深く覗きこむ

     一九三六年「わたしは、神のパズルを解きたいのです」(アルバート・アインシュタイン「物理学と存在」)。

  神のパズル、解きたるのちのたかぶりは神に返せぬ熱を帯びけむ

  レントゲン夫人の恐れは漠然と死の予感、一瞬、後世を照らす

 

時代を遡る構成は、そのまま、引き返すことのできない歴史の重みとなって読者の心にのしかかってくる。

知識として得た情報だけでなく、「手」や「足」や「眼鏡」など、身体に関わる言葉が随所に出てくるところにも迫力を感じる。大口玲子の目が、身体が、2004年の時点でこのビジョンをしっかり捉えていたということを、忘れてはならないと思う。