ある時は小さき花瓶の側面(かたづら)にしみじみと日の飛び去るを見つ

北原白秋『雲母集』(1915)

※ルビは適宜省略しています

 

小さな花瓶の側面を、太陽の光がゆっくりとよぎっていく。情景自体はなんということもないのだが、一首を読んでいると、時間が伸び縮みしているような奇妙な感覚にとらわれる。
「ある時は~見つ」、また「飛び去る」という言葉から想像するのは、比較的短い時間である。にもかかわらず、花瓶を日がよぎっていくのは、かなり長い時間。さて、語り手は、一体どれほどの間、ぼんやりと花瓶に見とれていたのだったか。
長いようで一瞬のようでもある、ある日のあるひとときを、スケッチ風に切り取っている。「日」が「しみじみと」去る、という見立ても味わい深い。

 

『雲母集』の連作「ある時は」は、12首全てが「ある時は」で始まる。

 

  ある時は眼(まなこ)ひきあけ驚くと鮮やかなる薔薇の花買ひにけり
  ある時は命さびしみ新らしき蠣(かき)の酢蠣を作らせにけり
  ある時は赤々と日のそそぎやまぬ首縊りの家を見惚(ほ)れてゐたり
  ある時は何も思はず路のべの赤馬(あか)の尻毛に手を触れてゐつ
  ある時は誰知るまいと思ひのほか人が山から此方(こちら)向いてゐる

 

一首ずつでももちろんいいのだが、一連として読むと、とにかくきらきらとしていて楽しい。目の前にある薔薇や新しい牡蠣、馬の尻……全てのものにぼうっと見惚れているような、多幸感に溢れている。

 

北原白秋が隣家の俊子夫人との姦通罪で告訴されて投獄されたのは、1912年。その後、俊子と再会し、1913年5月から翌年2月まで、三浦半島の三崎で共に暮らした。『雲母集』に収められた作品のほとんどは、当時の生活と気分を再現すべく、三崎を離れた後になって作られたものである。

「その間、父と弟とは遊び半分、殆ど夢見るやうな気持で、場所の有利なのを幸に、土地の漁船より新鮮な魚類を買ひ占めて東京の魚河岸に送る商買をはじめた。私は全く与らなかつたけれども、時折短艇に鮪や鯖やを載せて町の市場迄届けに行つたりした。夏帽子にホワイトシャツをつけ、黒い大きなネクタイをふつさりあと結んだこの魚屋の短艇を見た時に土地の人は如何に驚いたであらう。この仕事は結局失敗に終つた。」(『雲母集』あとがきより)

このくだりは、何度読んでもぐっときてしまう。たった9カ月しか続かなかった、美しく儚いユートピア生活。もはやそこに戻ることはできないと知っていたからこそ、『雲母集』の世界はこれほど輝いているのではないだろうか。

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