棚木 恒寿


わが書きし記事のたぐひや日日の排泄に似てただ忘れたき

 

                                                                    島田修二『渚の日々』(1983年)

   島田修二は長く新聞社に記者として勤めた歌人である。引用歌は、定年を五年残して執筆業に専念すべく、退職することになった前後の日々が歌われた百首詠「渚の日々」の一連中の一首である。退職は歌人にとって大きな出来事であったようで、歌集のあとがきでもその経緯と思いが長く語られている。

 

   この一首、新聞社での勤務を振り返っての歌ということになるだろう。自分が書いた、「記事のたぐひ」。「たぐひ」はむろん「類」ということであるが、あえて「たぐひ」と言うことによって、今までの仕事を少し貶めているようでもある。そして、下の句では日々の記事の執筆が「排泄」のようだったと回想する。この比喩は半ばユーモアであり、半ば露悪的でもあるだろう。ここは言葉として目立つところであるが、実は巧いのは「だた忘れたき」という結句の収め方ではないだろうか。排泄のあとの爽快感に今の自分は浸っているのだという感覚は、ここでは重要である。「排泄」というふうに例えたとしても、今まで自分を縛ってきた仕事というものに、怨念を感じているわけではない。それよりも仕事にみずから区切りをつけたことへのすがしさが、この「ただ忘れたき」には込められていると思う。「ただ忘れたき」によって、仕事への屈折した思いが解かれてゆくようである。

 

          辞めようと思つたことは幾度かあつたが。

サラリーの語源を塩と知りしより幾程かすがしく過ぎし日々はや

 

 島田の代表作であるが、この一首も退職前後を詠んだ「渚の日々」の一連によるものである。古代ローマ軍の兵士の給料の一部が塩として払われたという故事、それを知ってよりのサラリーマン生活がなぜすがしく過ぎたのだろう。自分は今まで会社に属するということは何か、記事を書くということは何かということを考えて来たが、実は仕事とは命に必要な塩を得るための純な労働ではなかったか、そういうことにふと気付くのである。自分も、肉体で糧を稼いだローマの兵士と同じだったと考えると心が軽くなり、楽しくなるのである。「幾程か」が巧みで、サラリーと塩のサ音の共通もどこかすがすがしい。サラリーマンとしての自分の姿を、どこか相対化してみる眼差しがあり、それにより心が解けてくるのである。

 

択一を迫られし時の折折に職を逃れき歌捨てざりき

匿名にあらず無名のもの書くときほひて記事を書きし日のあり

いつぴきのけものとなりて出でゆかん職捨つる日に自動ドア開く

灯を消せばまことかなしき孤りにて生けるしるしの手足うごかす

 

 日々の労働は、人生の多くを占めていながら影の時間である。そういうともすれば歌になりにくい時間の葛藤を定型に掬いあげている。「生けるしるしの手足」は、退職後のある日の夜の不安感なのであろう。じんわりと沁みてくる一首だ。