霧深きテニスコートにボール打つ少年の脛細ければ消ゆ

黒沢忍『遠(ゑん)』(2010)

 

オリンピックではメダルを取れなかったのだけれど、ノバク・ジョコビッチは気になる選手である。それというのも、テレビでやっていたドキュメンタリー番組の中で、ジョコビッチの少年時代のエピソードを見てしまったからだ。自宅前のテニスコートを食い入るように見つめていた小さな少年が、たまたま名コーチと出会って才能を見出され、プロとしての自覚を持ってテニスに取り組んでいく過程が、実にひたむきで良かった(安直なようだが、子どもの頃の映像を見ると俄然応援したくなってしまうのは、私だけではあるまい)。それでいて、自分のプレーにイライラして椅子壊したりとか、ラケットで思いきり自分の頭を殴ったりとか、たまに人間臭いことをやらかす辺りも楽しい。

 

 

霧の中、テニスボールを打つ音が聞こえている。打っているのは一人の少年だ。

「細ければ消ゆ」が面白い。人の姿を覆い隠してしまいそうな霧の深さと、少年のか細い脚の感じがよく出ている。脚の見えない少年はほとんど幽霊のように儚げで、ぱこーん、ぽこーん、というボールの音だけが、湿った空気の中を響き渡っているのである。

 

テニスなどの合宿地として有名な、富士山麓の平野地区での作。

 

  泣きに来た少年のためひめじをん群咲くなかのベンチを譲る

 

「泣きに来た少年」と「脛の細い少年」は同一人物だろうか。どうもテニスが強い気配はないが、練習をするときもこっそり泣くときも一人コートのそばにいる、ひたむきな佇まいがいじらしい。

語り手は、名前も知らない少年と、直接会話を交わそうとはしない。泣いていることに気づかぬ素振りでベンチを譲り、霧越しにそっと様子を見守っている。そのさりげない距離感が優しくて、ちょっとほっとするのである。

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