棚木 恒寿


救急車が通り過ぎたら右肩がカパッと開いてカプッと閉じた

 

                  鳥本純平歌集 『言訳と鼻歌と時々くしゃみ』(2012年)

 

 コミカルなと言ってよいであろうか、救急車の捉え方が印象的な歌である。救急車が主体の目の前を通り過ぎた。やがて、救急車は止まりその後部がカパッと開いてカプッと閉じたというのである。ここで私は、やや言葉を補って読んでいるかもしれない。先ほど「やがて、救急車は止まり」と書いたが、歌にはその記述はない。「右肩」は救急車の右肩なのか、主体の右肩なのかすこし迷うが、まあ前者が妥当であると思う。歌の骨格のどこか一部分が抜けているような気がしつつ、それもまたこの歌の魅力であろう。上の句が「救急車がやがて止まりて」であるならば、この歌の面白みは半減するかもしれない(「たら」の強引さ!)。「右肩」って何のことと読者は迷いつつ、躓きながら救急車の後ろのドアであることを了解する。その一瞬の迷いを超えることで、「カパッと開いてカプッと閉じた」という、やや強引な救急車のドアの認識の仕方に読者は納得するのかもしれない。

 

 

『言訳と鼻歌と時々くしゃみ』は、著者の大学卒業を機にまとめられた小冊子である。第一歌集と呼ぶのは著者の本意ではないかもしれないが、あえてここに引用させていただいた。

 

 

ナウマン象の眠る湖底にしずみゆくように頭のヒューズが切れる

 雑然と散らかる部屋の片隅の西日が切り取る軟式ボール

 角(つの)立てて空想しているナメクジのように四月の雨音を聞く

 

  一首目、「頭のヒューズが切れる」は疲れて何も考えられない感じだろうか。幾分慣用的て通俗な表現かもしれないが、このような俗を恐れないのもこの著者である。「ナウマン象の眠る湖底」にただただ沈む感覚で、とにかく眠りにつこうとしている。二首目、部屋に少しだけ西日が入ってきて、軟式ボールの所だけを照らしているのだろうか。「西日が切り取る」の「切り取る」はなかなか出てこない言葉で、光景が見える感じでほのかなリアリティーがある。三首目の「角立てて空想しているナメクジのように」という比喩も印象的。「空想するナメクジ」には若い主体の自意識が投影される。