とおからぬ日のきたるべき春に待つ、でもみみかきにひとすくいほど

中澤系『uta 0001.txt』(2004)

 
 「とおからぬ日」と「きたるべき春」。いずれも、近い未来を、確信を持って予測する時に使う言葉だ。しかも、それと巡り合うのが春であるならば、おのずと希望や幸福といった、ポジティブなイメージが思い浮かぶ。
ところが語り手は、その未来に「みみかきにひとすくいほど」の幸せしか予想していない。漠然とした不安に立ち止まるでもなく、また根拠のない希望に胸を膨らませるでもなく、わずかしかないとわかっている幸せを、迎えにゆく。
 
  ゆうぐれの電車静かにポイントを渡る今からおまえが好きだ

  天金の辞書踏み台に夏服を探す理由はない意図はない

  満月と見紛う黄色い風船が浮かぶ 狂えぬものとはぼくだ

  つねにくじを引き続けなさいそして常に当たりくじを引き当てなさい
 
「おまえが好きだ」という率直な告白の前にも「今から」と限定せずにはいられない潔癖さ。「理由はない意図はない」というダメ押し。「狂えぬものとはぼくだ」という自己認識。「常に当たりくじを引き当て」ることは不可能だと理解しながらも、くじを引き続けなければならない人生の過酷さ。どの歌も厳密すぎるほど厳密に、自らの限界点を見つめている。その「狂えなさ加減」に、何か心を打たれる。
 
『uta 0001.txt』の復刊をめざすプロジェクトが進行中だという。明日開催される有志の読書会には、中澤系のご遺族からの歌集提供があったとも聞いている。そんな風に、一冊の本が大切に読み継がれていくのは、やはり嬉しいことだ。

あくまでも個人的な体感にすぎないのだけれど、中澤系の歌の鮮烈さは、2004年時点よりも2012年現在の方がよりクリアに感受できるのかもしれないと、今回読み返してみて感じた。復刊を待ちたい。

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