うつし身はあらわとなりてまかがやく夕焼空にあがる遮断機

 

                      岡部桂一郎『木星』(1969年)

 

 この一首、散文的な情報量としては、遮断機が上がったということだけだろう。しかしながら、このように歌になってみると、遮断機が上がる様子がリアルに実像をもって迫ってくるような感じがして、短歌というものはつくづく不思議なものであると思う。

 「うつしみはあらはとなりて」は、何だろう。無防備に、鎧うことなく主体は外部にさらされている。深い考えごとをしているのではなく、幾分は呆としながらまはだかの感覚で町を歩いている。すると、踏切が目の前に来ており遮断機が上がってゆく。まかがやく夕焼け空を背景にして。「夕焼け空にあがる遮断機」には、遮断機がどんどん空へと限りなく昇ってゆくようなダイナミックなイメージもある。「空に上がる」はやや誇張気味でありつつ、しかし実景についており、目の前にありありと遮断機の上がる様子が再生されるのである。

 

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