かぎり無き蜻蛉が出でて漂へば病ひあるがに心こだはる

 

                      近藤芳美『埃吹く街』(1948年)

 

 まだまだ暑さは続くが9月に入って、一週間となる。だいぶ日が短くなり、夕陽のなかに秋の蜻蛉を見かけるなどすると、季節の変化を実感する。

 この歌に出てくる蜻蛉は、やや抽象的である。次々に出てくる「かぎり無き蜻蛉」は不気味な存在であろう。秋だなあと季節の変化を感じているどころではない。多分に心象的な風景である。脳裏に浮かぶもやもやである。そんな蜻蛉が頭にイメージされるころ、自分の心はまるで「病ひあるがに」にひとつのことのこだわっているのである。この歌の前には有名な「吊革に皆モノマニヤの目付して急停車毎よろめきてをり」がある。「病ひあるがに心こだはる」もモノマニア(偏執狂)的な心理であるように思う。

 「心こだはる」だから、幾分自分のモノマニア的な感覚を客観的に見ている視点がある。しかしながら、自分のこだわりを静めることはできない。そこにある、心の昂ぶりと幾ばくかの焦りのようなもの。それは「かぎり無き蜻蛉が出でて」という心象風景とともに一首に溶かし込まれていると思う。

 「吊革に‥‥」の歌は「皆モノマニアの」とあるから、社会の集団心理的なものも伺えるが、「かぎり無き‥‥」の方はもうすこし個人的な心理である。戦後社会の不安や焦りが析出されているようにも思うが、すこし深読みかもしれない。

 

 

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