石川 美南


のびやかな影を曳きつつ老い人は午後の日差しに出逢いつづけぬ

内山晶太『窓、その他』(2012)

 

数日前までは朝も夜もじりじりと暑くて、このままずっと夏が続いて行くんじゃないかとすら思っていたのだけど、ようやく秋らしい風が吹いてきてほっとしている。地に落ちる自分の影を親しく感じる余裕も出てきた。
 
午後、斜めから降り注ぐ日差しの下で、長く伸びてゆく影。それを、「のびやかな影を曳きつつ」という、まさにのびやかな言葉で捉えているのがいい。一人の人が重ねてきた年月を、丸ごと肯定するような温かさ。そして、下の句「午後の日差しに出逢いつづけぬ」には、未来に向かう希望のようなものが感じられる。きっと幾つになっても、日々は常に新しいのだ。
 
子どもの頃にはわからず、本当に高齢になってからの感慨とも異なる、青年の目から見た「老い」のあり方が、柔らかく捉えられている。
 
前回は第1章から引用したので(https://www.sunagoya.com/tanka/?p=8589)、今回は第2章から。
 
 
  にんげんのプーさんとなる日はちかく火の近く手を伸べてぼんやり
 
  ひよこ鑑定士という選択肢ひらめきて夜の国道を考えあるく
 
  金曜の夜となればほくそ笑むやがて輪郭が溶けてゆくような眠り
 
 
内山晶太の歌には時々、膝を後ろからカックンとやられるようなユーモアが潜んでいる。失職→プータロー→にんげんのプーさんという流れには、情けないやら切ないやら、もう、たははは、と笑うしかない。転職先として「ひよこ鑑定士」(ひよこの雌雄を見分ける職業)を検討してみたり、週末になるとにんまりしたりする辺りも、身につまされる。ユーモアの裏にはもちろん過酷な日常があるのだろうが、負の感情を生のまま手渡すのではなく、「たははは」に変換してみせるところに、作者の優しさが感じられる。
 
その他、好きな歌。
 
 
  小龍包は紙よりも破けやすくしてはださむき夜の夢に出でたり
 
  あはれなるシールのごとき目をもてるオカメインコにゆうべ餌やる
 
  曇天の日の路地にしてままごとのなごりであろう椿置かれつ
 
  観音を背に彫らしめて 少女期の悲はやすらかに身の丈を超ゆ
 
 
第3章まで紹介しきれなかったので、あと少しだけ次回に続きます。