怒るときも名差しができずいる父よ床の木目を見ながら怒る

 

野口あや子『夏にふれる』(2012)

父が名指しして怒りたい相手とは誰か。特に明示はされていないのだが、娘に深く関わる人物、たとえば恋人を想像してみると何となくしっくりくる。口に出して名をいうのは恥ずかしく、けれども、溢れ出る不満を抑えることはできない。視線はずっと下に向けたままだ。
そんな内面の葛藤をすっかり娘に見抜かれている、父親の不器用さがもどかしく、そして切ない。
  父はすぐ靴下を脱ぐ くつしたの鬱はすばやく母に捕わる
  親というにはおさなき父よ新聞を折り目さかさに畳みおえれば
  我慢してミートボールを食べている父になる性すべてかなしき
これらの歌においても、娘が父に向ける眼差しは、温かくも容赦がない(「親というにはおさなき父よ」という言い切りがすごい)。
もっとも、ミートボールの歌を読む限り、そうした物の見かたは実の父だけでなく、異性である男たち全体に向けられているようだ。
『夏にふれる』は野口あや子の第2歌集。
  野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり
  定型を上と下から削りましょう最後に残る一文字(ワタクシ)のため
  精神を残して全部あげたからわたしのことはさん付けで呼べ
  わたくしの相聞に十字をいれて見たいのならばこじ開けてやる
  乾かさぬ髪を枕に擦り付けて夢でもわれはかたくなにあり
言葉のがむしゃら度合いは、収録歌数の多さに比例してか(良くも悪くも)第1歌集よりさらにパワーアップ。まっすぐこちらを見つめたまま逃がしてくれない「野口あや子」「ワタクシ」「わたし」「わたくし」「われ」の自己主張に時として辟易しつつ、それでもその熱量に惹かれてページをめくり続けてしまう。
以下、好きな歌を挙げておく。
  ひょっとしてくっつくかっていう二人の間で水菜をしゃこしゃこと食む
  細部まで神でしょうかと迫りつつ手羽先の骨ぐるりと捻る
  ひらきつづける折り鶴の羽のようだったどこにいくでもなくひらくこと

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