なみの亜子『バード・バード』(2012)
秋になれば木の葉が散る。散った葉は腐っていつしか土になる。土に種がこぼれて新しい芽が出る。積み重なった腐葉土をふかぶかと踏むとき、途方もないその生き死にの巡りがふいに実感されて、「なんだってこんなに死んだり生きたり」という言葉が、ふっと口をついて出てくる。
なみの亜子は、10年ほど前から西吉野の山間集落に移り住んでいる。歌集にはたとえば、
釣り人と登山者に戻らぬがあるという嵐となれば凄める渓ゆ
うっかりと死にたる狸は狩猟期のいのししの檻に半身(はんみ)差し込み
といった歌もあって、山深い土地に住む人にとっては、「なんだってこんなに」という感慨が日常的なものなのだろう、と了解される。……いや、違う。どこに住んでいたって、人間は「死んだり生きたり」を噛み締めて生きているものなのだ。
小池さん、とわが呼ぶ鹿とコーネリアスに似てる女人とたて続けに遭う
ねぎの根をそのへんに挿しそのへんにねぎを穫りたり小口に刻む
谷の家に犬の鳴けるをわが犬は谷の深さをはかるごと聞く
「小池さん」(小池光のことか、それとも「ラーメン大好き」の方だろうか)に似た鹿、コーネリアス(男性)に似ている女性、という妙な取り合わせに笑ってしまいつつ、そうしたローカルなおかしみを見逃さず、自分のペースで歩き続けている語り手の姿勢に、なんだかぐっとくる。「そのへん」に挿して育ったねぎを食べることや、飼い犬と共に谷底に向かって耳を澄ますことの、寂しさと豊かさを思う。
ざっくりとした喋り言葉と豊かな自然の合間から立ち上ってくるしみじみとした哀感が、この歌集の魅力だと思う。
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