棚木 恒寿


脱ぎ捨てればひとでのやうに広がれるシャツが酸つぱい匂ひを放つ

                  山田航『さよならバグチルドレン』(2012年)

 

 何となく、夏の季節感がある。外から帰って来て、まず汗をかいたTシャツを脱ぐ。手を洗ったり扇風機の前で涼んだりしたあと、ふと自分の投げ捨てたシャツに眼をやると、まるでひとでのようにそれは広がっている。ついさっきまで自分の肌を覆っていたシャツはひとでのような異物感をもって置かれており、それに気付いた主体の心は一瞬ゆれる。下の句の「シャツが酸つぱい匂ひを放つ」という甘やかなナルシシズムの中で、主体はシャツをしばらく見つめているのである。「脱ぎ捨てるシャツ」「酸つぱい匂ひ」などの言葉は青春歌群の中では幾分記号的に働きがちだが、「ひとでののように」という比喩が若き日の一コマに実感を与えていると思う。

 

麦揺れて風は体をもたざれど鳥類であることをみとめる

 まるく太る雲のチューバにささへられソプラノで鳴る初夏の自転車

 全休符おかれたやうなしづけさを乱して訪れるバスと犬

 

 一首目、「みとめる」は「気付く」くらいの意味だろう。風は体を持たないことは分かっているが、鳥類であることには違いないという詩的な把握は独断ゆえに鮮やかだ。「雲のチューバ」「全休符おかれたやうなしづけさ」など良質の比喩によって、歌はいきいきと生動くする。部分的なフレーズの冴えで、一首全体が立ち上がる。

 

 許すとかいふ傲慢な感情を掻きまぜて洗濯機がまはる

 階段をのぼつてゆけば夕暮れと呼びたくはないひとときがある

 僕の背に軽くささつてゐる爪が三日月よりもとほい気がする

 

  一首目は、やや感情がささくれた時の歌だろうか。人を許すなどという自分の感情の傲慢に気付いた主体は、洗濯機を回しながら宥めきれない感情に向きあう。「傲慢な感情を掻きまぜて」の荒々しさや暗さも、青春歌の一部に回収されるのであると思う。「夕暮れと呼びたくはないひととき」には拘りと、蹉跌があり、「軽くささってゐる爪」は甘やかでありつつやはり痛い。

 

 許せないものが僕にもありまして例へば雪を塗りつぶす春

 除雪機は未明を進む泣き虫の一つ目巨人(サイクロブス)のごとく唸りて

 

  北海道在住であるという著者の季節感が伺える歌。数は少ないけれども、このような歌にも、主体の日常や感情生活のこまやかさが出て来ていると思う。