岡部桂一郎『一点鐘』(2002)
庭に植えている薔薇の花が咲いた。庭に下りてよく見ようと思いながら(体調が優れなかったのだろうか)五日間家に籠っているうちに、薔薇はすっかり散ってしまい、今朝は土の上に汚れた花びらが山をなしている。
一見、物寂しい風景だが、なぜか、言葉に華やかさがある。語り手が目にしなかった五日間、薔薇は確かに美しく咲いていた。その気配が、「花くずの嵩」からほのかに伝わってくるような気がするのだ。
『一点鐘』は、岡部桂一郎が88歳のときに出版された。
中年の男は不意に年をとる貨車ゆっくりと昼の遠景
若き日はしどろもどろの人生と単3電池唄い始めつ
白昼につまずく体一瞬に宙とらえんと遊ぶ両の手
歌集には、「老い」を見つめる歌も多いが、言葉に何とも言えない色気とユーモアがあり、読んでいてうっとりしてしまう。白昼につまずく身体は不如意かもしれないが、そこには、「しどろもどろ」であった若い頃とは一味も二味も異なる、ゆったりとした時間が流れているように見える。
父の辺にゆかねば答えてくれぬのか月下の溝に水の音する
亡き父を想うひたむきな心と、現世に留まって「問い」を発し続ける寂しさが、しんしんと胸に迫る。月夜に聞く水音の、なんと心細く、なんと美しいことだろう。
その他、好きな歌を挙げておく。
方円の器(うつわ)に水は従いてすなわち満ちぬ秋の光に
傍観の窓のむこうに風立ちて竹しなやかに自らを揉む
大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸をもつ
これはこれ一億円に化けるかも赤いもみじの葉っぱをあげる
逝く春を森永ミルクチョコレート箱が落ちてる 泣いているのだ