魚村 晋太郎


いまだ日は長きに夏至の過ぎたるを繰り返し言う追われるごとく

松村正直『やさしい鮫』(2006年)

今年の夏至は6月21日だった。
夏至は、昼間の時間が一年でいちばん長い日。
暑さの本番は梅雨があけてからなのであまり実感はないが、この日を境に太陽の勢いは徐徐に衰えはじめ、昼の時間はだんだんと短くなってゆく。
昼間の時間が一年でいちばん長い、というのは正しいが、日の出がいちばん早い日は夏至の一週間くらい前であり、日の入りがいちばん遅い日は一週間くらい後になる。
これは、地球の軌道が円ではなく楕円であるせいと、地軸がかたむいているせいで、天球上をゆく太陽の速さが一定にならないからである。

6月の終りころの東京付近の日没は午後7時ころで、
7時半くらいまでは残照で結構あかるい。
8時ころになってようやく夜になった感じがしても、まだ西の空のひくいあたりが暮れ残っているさまは、なんだかものさびしくもある。

4月に新年度がはじまって、ばたばたしているうちにもう6月も過ぎてしまった。
そんな感覚は、多くのひとがこの時期にいだくものだ。
もっとも、本当に忙しいひとは、そんな思いを抱く余裕すらないかも知れない。
一首の場合、夏至を過ぎたことを嘆き、追われるような焦りを感じているのは、主人公の伴侶だろうか。

何か目標を持つひとにとって、今年ももう半分が過ぎてしまったという感覚は、ちくちくした焦りとなる。
ただ、一首にわだかまる、焦りというか、にぶい痛みのような感覚は、また別のところからも来ているような気がする。
一首にいう夏至とは、人生の折り返し地点でもあるのではないか。
単純な暗喩ではない。長く暮れ残る夏至過ぎの空をながめているうちに、折り返し地点をすぎようとしている自分たちの生が、しみじみと意識されてきたのだ。
いまだ日は長きに、という初句には、青春との別れを覚悟しながらも、自分たちの体にまだみなぎっている若さにたいするアンバランスな感覚が正直に吐露されている。