棚木 恒寿


充電器に鎮座している携帯の何かに似ている そうだ位牌だ

 

                                                       キム・英子・ヨンジャ『百年の祭祀(チェサ)』

 

   一読、気分が楽しくなる歌。解説は不要だろう。充電器に置かれている携帯電話。そのたたずまいは何かに、似ている。そういえば位牌だ。ふっとそんなことを主体は思ったのである。「鎮座している」は通俗的な言葉遣いともいえるが、この作ではユーモアとなっていよう。「何かに似ている そうだ位牌だ」の口語と一字空けには、この携帯は何に似ているのだろうと主体が必死に辿っている最中の感覚があり、笑いがある。どこか開けっぴろげともいえる感じで、作者の横顔が見えるようだ。

 

 

直径は十六センチその裏のうなじの純情大輪ダリア

 

夕つ方灯すランプの色かたち病む身にぽっと枇杷の実を食ぶ

 

駅前の欅も色づき風呂敷のお相撲さんと通勤列車

 

 

    どれも楽しい歌だ。「ダリア」を純情とする擬人化は、通俗でありつつ純情を好む主体の気持ちが出ているのだろう。二首目のランプの色かたちをした枇杷の実を口にする喜び。「ぽっと」には、日常のなかで感じたちいさな幸せがあるだろう。三首目は作者が住むという福岡で行われる九州場所の光景か。「お相撲さんと通勤列車」の「と」が巧みであり、お相撲さんの存在感にリアリティーがある。お相撲さんとの出会いを楽しんでいる。これらの歌には、この作者ならではの視線の低さがあり特徴になっているだろう。

 

 

たびたびを寝込めどついに美しき肝臓のまま父は逝きたり

 

誉められている徴兵制日本の男子はヤワでという雑談に

 

アラフォーと驚嘆されて阪神の金本かつてわれも金本

 

 

    一首目は「まる三日飲みて七日を寝込みたり花摘む野辺にと歌いいし父」とある通りよく酒を飲んだ父が亡くなったときの歌だが、「美しき肝臓のまま父は逝きたり」と、ユーモアがある。二、三首目は作者が在日韓国人であるということを背景にして読まれる歌だろう。日常生活のふとした出来事の上に、主体の感慨が滲む。

 

 

同じ名の市にはなれども空模様分かるるところ旧町境

 

こうやって初めてのことひとつひとつ積み重ね初めての死が来る