江戸 雪


なだれこむ青空、あなた、舌の根をせつなくおさえこまれるままに

佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』(2006年)

青空があまりにも澄みきるとき、不安になる。悪いことの前兆のようなおもいに囚われる。そしてむしょうに自由がほしくなる。だけど、自由ってなに?

青空がわたしのなかになだれこんでくる。おそろしいほど青く澄みわたり、大いなる無である空が。
「青空、あなた、」という言葉のはこびによって、「あなた」という言葉に立ち止まってしまった。「あなた」は、もちろんこいびとであるのだけれど、もっと大きな存在――わたしを震わせる思想のような、輪郭のない――存在そのもののようにおもえてくる。
そうなってしまうと、次に現われる、「舌の音を」「おさえこまれるままに」がおそろしく身体性をおびて迫ってくる。それは、誤解をおそれずにいえば、どこか暴力性さえ感じられる。
それでも、「せつなくおさえこまれるままに」である。重苦しい情態でいる作者はうっとりしているのだ。

息苦しい。わたしのなかに青空がいっぱいになって、舌の根さえもおさえこまれ、声もだせない。
けれど。
「あなた、」とおもいをこめて呼ぶ。おもいつづける。
呼べば呼ぶほど、自由ではなくなる。ますます苦しくなる。

けれど、わたしは幸せでした。ありがとう。
「さようなら。」「こんにちは。」
青空からすべてが始まる。