ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり

永井陽子『モーツァルトの電話帳』(1993年)

 

永井陽子は、1951年の今日4月11日に生まれ、2000年の1月26日に死去した。

一首は、完璧な呪文だ。もともと短歌は日々のくらしの中でつぶやく呪文のようなものだが、この歌のうつくしさは比類ない。読んだ瞬間、心をつかまれる。うつくしくて、おそろしい。目が一行から離れなくなり、何度もなんども読んでしまう。心はとうにアンダルシアの上空だ。ひらがなとカタカナをただならべただけの字の連なりが、なぜ心のなかに変化を起こすのか。

えっ、あなたは読んでも何も起こらない? それはあなたの心にまだ短歌を読む準備がととのっていないからです。

 

<ひまはりの/アンダルシアは/とほけれど/とほけれどアンダ/ルシアのひまはり>と、5・7・5・8・8音に切る、一首三十三音。

いま、ここにないものへのあこがれ。誰でも心のなかにもっている、ここではないどこかへの憧憬。そういうものを詠んだ歌だ、とひとまずいえる。だが、こういう歌は意味を考える歌ではない。ただ何度も舌のうえでころがすための歌だ。

 

はじめてこの歌を読んだのは何年前のことだったろう。いつのまにか一首は、私の中でこんなふうに変わっていた。

アンダルシアのひまはりはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり

あるとき歌集を再読して思い違いに気づいた。そして思った。作者は完成形を選びとるまでに、さまざまなヴァリエーションを試みたに違いない。たとえば、こんな形。

 

アンダルシアのひまはりはとほけれどとほけれどひまはりのアンダルシア

ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどひまはりのアンダルシア

 

「とほけれど」を「とほくても」にする手もある。

ひまはりのアンダルシアはとほくてもとほくてもアンダルシアのひまはり

アンダルシアのひまはりはとほくてもとほくてもアンダルシアのひまはり

 

「ひまはり」を「ひるがほ」、「アンダルシア」を「アルハンブラ」で行く手もある。

ひるがほのアルハンブラはとほけれどとほけれどアルハンブラのひるがほ

アルハンブラのひるがほはとほけれどとほけれどアルハンブラのひるがほ

ひるがほのアルハンブラはとほくてもとほくてもひるがほのアルハンブラ

 

呪文が呪文を呼ぶ。頭がこんがらがってくる。このうちのどれを取っても「歌として駄目」ではない。熟考のすえ、永井陽子は上に掲げた形をベストとした。

一首を含む『モーツァルトの電話帳』は、いま『永井陽子全歌集』(2005年 青幻舎)で読むことができる。