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砂子屋書房 一首鑑賞
日々のクオリア
投稿者:
中津 昌子
育ちては何の記憶もなからめど時にはわれも押すベビーカー
平原にぽつんぽつんとあることの泣きたいような男の乳首
話すほどねぢ曲がつてゆくさきゆきのあきらかなれど受話器を置けず
のんきさうに雲が通ると見てをればほとほとのんきな人とぞいはる
一袋の苗を抱へて過ぐるときいつせいに木々の視線は降り来
パブロ・ピカソさんらんとして地に死ぬをありあけの馬は見て忘れけむ
少年期のわが虐待を逃れ来し蝶かも知れずこの襤褸の蝶
仕事場の/小さい窓から覗かれる/灰色の空が自分の心だ
コスモスを見てゐるのではなかつたと揺るるコスモス見ながら気づく
七回忌の姑(はは)夢に来て機嫌よしなぜか私も死にたくなりぬ
睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月
空間に半開きの扉(と)のある夢を怖れて時に現実(うつつ)に見たり
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