あさかげの今井美樹的東京を数度(すたび)おとなひ数たび憎みき

大辻隆弘『水廊』(砂子屋書房:1989年)


(☜3月13日(月)「憎むということ (4)」より続く)

 

◆ 憎むということ (5)

 

1988年の作品として歌集に収められた一首。幾度か訪れた東京を、幾度か憎んだことが語られている。
 

当時活躍した芸能人が登場する「今井美樹的東京」という表現に目が行くが、枕詞のように用いられている「あさかげの」という言葉に注目したい。「あさかげ(朝影)」という言葉には、「朝日の光」という意味と「(鏡や水に映る)朝方の表情や姿」、そこから転じた「ほっそりとやせた姿/(失恋などで)やつれた姿」という意味がある。
 

「朝日の光」という意味には、バブル期の華やかさが対応するのだろう。そして暗に、いつかは頂点に至って沈んでいくものだという乾いた認識の在り方も読み取ってよいかもしれない。一方の「ほっそりとやせた/やつれた」という意味には、直接的には今井美樹の姿が対応し、東京のイメージとして語られる。スタイルという見た目の良さの裏に、どこか危うさを感じさせる。「今井美樹的」という箇所には、当時活躍した芸能人の誰もが入るようでいてそうではないようだ。ためしに、今井美樹と同年生まれの「山田邦子的東京」を思い浮かべるとき、「あさかげ」と呼ぶには光が強すぎ、その時代の東京が裡に抱える危うさが見えづらくなってしまう。もちろん「あさかげの〜東京を〜おとなひ」という言葉の連なりから、単に明け方に東京を訪れた、とも解釈できる。このように、「あさかげの」という一首の出だしはさりげないようでいて技巧的である。
 

続く歌がこちらである。
 

東京を敵地とぞ思ひ来しことのあはあはとして中野梅雨寒

 

「敵地」とまで思う東京であるが、掲出歌自体は「憎みき」と過去形で回想的に語られており、さほど憎々しさに溢れているようには感じさせない。「あさかげ」や「数度(すたび)」「おとなふ」と言った時代から見れば古めかしい言葉の使用は、浮かれた東京に対してあえてぶつけているように思える。また、「今井美樹的」といういかにも若者が使いそうな言葉遣いにも、余裕を感じさせる。
 

トーキョーが俺の短歌をばかにする 春夜ゆゑなき憤りはや

 

自身の短歌を認めないのは、首都として日本の中心をなす「東京」ではなく、あくまでも時代の流れで一時的に浮かれている「トーキョー」なのである。そこに、歌人としての矜持を感じさせる。
 

「今井美樹的東京」から三十年近い月日が流れた。何度かの不景気と大きく移り変わった時代のなかで、私たちは「トーキョー」を失い、ただの「東京」を得た。もはや誰かの名前を冠して語られることはないだろう。
 

かつて華やかなりし東京が、その華やかさの反作用として産んでいた反骨精神や矜持も、今となっては懐かしむべきものになってしまったのかもしれない。
 
 

(☞次回、3月17日(金)「憎むということ (6)」へと続く)