このビルの完成予定のきょうまでになんか変わっているはずだった

脇川飛鳥『テノヒラタンカ』(オフィスサンサーラ:2002年)


(☜6月28(水)「生きると死ぬ (11)」より続く)

 

◆ 生きると死ぬ (12)

 

次々と新しい建物が建てられ、とどまること無く変わっていく街の様子。何十メートルにも及ぶ高いビルも、まったく何もないところから日々の積み重ねで、完成予定日には確実に完成する。考えてみれば恐ろしいことでもある。
 

通勤途中にあったり、家の窓から見える場所にあったりと、日常生活の中でそのビルをよく見る機会があったのだろう。見ているうちになんだか愛着が湧いてきて、その完成予定日を覚えてしまった。少しずつ、しかし確実に成長していくビルの高さを前に、自らにも「完成の日」が訪れるような気がしてくるのも、よく分かる。
 

しかし、建物が完成したその日、そびえ立つビルを見上げつつ何も変わることのなかった自分自身に気付く。
 

「なんか変わっているはず」だったという表現にあらわれているように、この一首には明確な自分自身の完成図は描かれていない。そこには、何かになりたいという目的発想ではなく、今の自分自分に対するうっすらとした不満足から少しでも離れたいという発想があるのだろう。
 

変わることを夢見る自分、しかし変わることのない自分。
 

空気のように透き通った絶望のなかで、成長を続けて変わっていく街のなかで、ビルを見上げながら佇む――
 
 

(☞次回、7月3(月)「生きると死ぬ (13)」へと続く)