久々湊盈子『あらばしり』(2000年)
香りたつ「八海山」のあらばしり暖簾の外は春の雨です
あらばしりとは、日本酒の、醪を搾ったときに最初に出てくる白濁した部分。飲める季節は限られている。私はあらばしりいうことばをこの一冊で知ったが、張りのある響きの後ろに豊かさが感じられ、とても印象的だ。
床屋よりもどりて夕刊読む夫のにわかに齢(よわい)かたぶくうなじ
「床屋よりもどりて夕刊読む夫」。床屋にいくのは、午後の、夕方に近い時間だろう。むろん、午前中や昼過ぎにいったっていいのだけれど、日がすこし衰えながら、とはいえ美しい色を見せるころが、なんだかいいのだ。
「にわかに齢(よわい)かたぶくうなじ」。床屋よりもどって夕刊を読んでいる夫のうなじに目をやると、ふと齢を感じたという。床屋にいくと、長さにすればそれほど切ったわけではないのに、後ろがスースーして、無防備になった感じがする。「夫」も無防備な後ろをさらして、夕刊を読んでいる。妻の前だから無防備でいられるのだし、妻は無防備な「夫」の齢を見、自らの齢とふたりの歳月を思うのだ。
一冊には「婚姻がまだうるわしき明日である二人に従きて家具屋をめぐる」といった一首もある。
飛ばぬ鳥走らぬキリンを囲みおく動物園のうららかな午後
閻王にいつか抜かるる舌なれど春の野草の香味よろこぶ
びび、びびとポッペン鳴らし長崎の父母の墓参に今年も行かず
夜の更けに断りもなくカタカタと侵入してくるファックス無礼
うまく啼けぬカラスが一羽界隈に住みつき冬の日はや暮れかかる
かぼすの酸残れる指に編む帽子はじめて冬を迎うつむりに
寂しげに見えたるものか幼子がポップコーンをくれて駈けゆく
身のうちにまだとどこおるバリウムが翔べぬアヒルの夢を見さしむ
小気味よいリズムの運びやところどころに含まれるちょっとした毒が、彼女の魅力である。それを支えているのは、日常のささやかな、しかし大切なことがらに、ていねいに向き合っていく意志。だから、掬われる/救われるのだと思う。そう、私たちの身体が自ずと抱えている、痛みや悲しみが。