都築 直子


醜の國のメリケンばらと神國のわが皇軍を同じに思ふな

前川佐美雄『日本し美し』(1942年)

*「醜」に「しこ」、「神國」に「かみぐに」、「皇軍」に「みいくさ」のルビ

 

1945年の昨日、日本はポツダム宣言を受諾して敗戦国となり、翌15日天皇によるラジオ放送で国内に発表した。1931年の満州事変からここに至るまで、とりわけ1941年12月8日の真珠湾攻撃以降、多くの歌人が戦争の応援歌を作った。その中の一人である前川佐美雄(1903年2月5日―1990年7月15日)は、戦争翼賛歌作者として戦後に大バッシングを受けたことで知られる。だが私のような戦後生まれの短歌読者には、「翼賛歌」といわれても実態がよくわからない。短歌総合誌の戦争特集で佐美雄の歌を見ても、執筆者が遠慮するのか「この一首のどこが悪いのか?」と思うような作しか出ていないのだ。佐美雄は、どんなことばで何をのべたのか。隔靴掻痒の感がつのっていたところ、2002年に『前川佐美雄全集Ⅰ』が発行され、収録歌集『日本し美し』(やまとしうるはし)を読んで初めて、「派手にやったなあ。こういうことだったのか」と腑に落ちたのである。

 

〈醜の國の/メリケンばらと/神國の/わが皇軍を/同じに思ふな〉と6・7・5・7・8音に切って、一首三十三音。醜い国のアメリカ人どもと神の国である日本の天皇の軍を同じものだと思うな。短歌という名の啖呵だ。当時の日本人の思いを、端的にストレートにのべた。

 

海賊の裔なる紅毛碧眼の奴國を撃つは今日よりぞなし
*「裔」に「すゑ」、「紅毛碧眼」に「こうまうへきがん」のルビ

われは神武の御軍にして米英の惡魔なす敵を追はむとする
*「御軍」に「みいくさ」、「追」に「やら」のルビ

眼の碧き紅毛どもを切らまくは日本の剣に穢れあらすな
*「眼」に「め」、「碧」に「あを」、「日本」に「やまと」、「剣」に「けん」、「穢」に「けが」のルビ

 

醜の國、メリケンばら、海賊の裔、紅毛碧眼、奴國、眼の碧き紅毛ども……。身も蓋もないことばの連続だ。あの名歌〈春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ〉(『大和』)を、ほんの二、三年前に作った人の歌とは思えない。だが、同一人物の作品なのだ。『日本し美し』は、こういう罵倒語の歌が、ページを繰っても繰っても続く。新刊本の全集の、白くすべすべした紙の上に美しく刷られた時代錯誤的言辞を読むのは、奇妙にして新鮮な読書体験だ。歌集「後記」の中で作者は、以前に出した歌集に比べ「歌は総じて又幾らかよくなつてゐるのではないかと考へてゐる」と書く。

 

この、いわばイケイケ戦争歌集を読んだ後で、『捜神』『白木黒木』など、戦後の佐美雄歌集を再読すると、作品世界に充満する鬱屈感を以前よりふかく享受できるようになっている自分に気づく。悪名高い戦争歌集を、「これは入れないでおこう」などといわず、完本で全集に収めた著作権継承者に拍手を送る。

 

さて、未来のことは誰にもわからない。戦争と短歌について思うとき、私の前にはいつも一つの金言が浮かぶ。

 

あやまちはくりかへします秋の暮  三橋敏雄