魚村 晋太郎


生むことは来るべき死を与うこと秋の陽に蟻が運ぶなきがら

鈴木英子『油月』(2005年)

数年前、必要があってある中学校の学校説明会を聞きにいった。
学校のユニークな取り組みのひとつとして、「1.29滅びの数字」というテーマで、出生率の低下や少子高齢化社会の問題について、生徒たちが継続的に研究や発表に取り組んでいることがそこで紹介された。
出生率とは、正確には合計特殊出生率というらしいが、ひとりの女性が産む子供の平均人数で、2.08ぐらいで人口は横ばい、それ以下だと人口は減少する。
1.29とは少子高齢化に歯止めが効かない日本の状況を象徴する深刻な数字だ、ということだろうが、中学校での取り組みとしては、すこし違和感を感じた。

世界人口は現在も増加中で、20年以内には世界規模の深刻な水不足も予想されている。
産みたいひとが安心して産める社会をつくることは大事だが、産むことに社会的な意義があるように考えることは問題でもあるし、中学生にはむずかしかろうなあ、と思ったのだ。

そんなことも思いながら一首にであったとき、生むことは来るべき死を与えることなのだ、という潔白な断言に、はっとさせられた。
ひとりの人間を生むことは、多くのよろこびとともに多くのくるしみを、生まれてくるひとにあたえることになる。
そしてたしかに、生まれなければおとずれることのない死を、遠い将来に約束することでもある。

しかし一首は、虚無的な箴言ではない。
はかない昆虫の死骸をみて、生まれてくる子の遠い死を思わずにいられない主人公のこころには、なみはずれて研ぎ澄まされた資性を感じるが、それほどにあたらしいいのちを愛しんでいる証でもある。
なきがら、と思って主人公がみつめているのは、蝉だろうか蜻蛉だろうか。
ひかれてゆくものは蟻たちのいとなみで、土にかえってゆく。
秋の澄んだ陽射しと空気を肌に感じながら、それをみつめる主人公は、遠い死を抱いたひとりの生をはぐくむよろこびとおそれを、大切に抱きしめているのだ。