高ひかる日の母を恋ひ地の廻り廻り極まりて天新たなり

斎藤茂吉『赤光』(1913年)

*地の廻りに「ち」の「めぐ」り、天に「あめ」のルビ。

大西巨人――あの軍隊内務班の日常を細密にえがいた『神聖喜劇』の著者、に『春秋の花』(光文社文庫)という詞華集がある。執拗に思えるほどの稠密な散文を書く大西だが、日本語詩歌、とりわけ短歌への愛好は独特のものがある。『神聖喜劇』にも、随所に短歌が引かれる。とりわけ『新風十人』の時代の歌人への偏愛が感じられる。その大西が愛好する詩文を選び、簡単な解説文を付して「週刊金曜日」に連載したものが、この一冊にまとめられた。

私は、このアンソロジーが大好きで、時折ぱらぱらとページを捲っては、ああこんな歌や文章があったのかと驚きを愉しんだりしている。読むたびに色々な発見があるのだが、今回は茂吉のこんな歌を紹介しておこう。

斎藤茂吉にかんしては、もう一箇所散文を引いているページがあって、これが下ネタめいて実に愉快なのだが、これはご自身でお読みいただきたい。ちなみに引かれた短文はエッセイ「森鷗外先生」(1925年)から、「美女は概ね下等であり、閨房に於ても取柄は尠い。」である。この選択、この露骨、おおよそを類推できるだろう。

さて、この一首だが、斎藤茂吉の第一歌集『赤光』の「自明治三十八年 至明治四十二年」の項、つまりもっとも早い時期の作品である。「新年の歌」、明治41年正月に発表された14首の内の2首目にこの歌はある。伊藤左千夫の添削を受けていた時代のもので、その影響を感じさせる一首だ。実際に左千夫の添削が初句、下句に入っている。

初句、原作は「天照らす」であったものを左千夫が「高います」と直し、歌集にする際に更に「高ひかる」に。「高ひかる」は、本来「日」にかかる枕詞だが、初期アララギ特有の使い方で、空高く光り輝く太陽の意を含んでいる。太陽を母として慕い、大地(地球)は廻り廻り新しい年を迎える。宇宙の運行を捉えた、じつに大きな歌である。下句は原作「一つ極まりて年新かも」を左千夫の添削に従った。

大西巨人は「なかなか雄大な歌がら」と評した。そしてこの歌を地動説と把握して、「もしも現代の誰かが、中世のポーランドなりイタリーなりに『タイム・スリップ』をして、コペルニクスかガリレイかに掲出歌を見せたならば、先方は、「わが意を得たり」とばかりにほほえむかもしれない」と、これまた雄大な妄想を働かす。この妄想を働かす力も、短歌ならでは、短い詩型なればこそであろう。

要は莫迦げたほどに大仰な歌なのだ。畏まった文語による空虚に近い内容ながら、新年の喜びの表現になっている。現在にこのような歌を作れというのではない。短歌の歴史には、このような作品があり、まったくの虚言として無視することのできない感動を伝えてくれることを知っておきたい。

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