厨べにすてし茶がらは凍りつき雀は降りて餌を探すかも

松倉米吉『松倉米吉歌集』(1920年)

 

貧しさと肺の病からアララギ歌人であった松倉米吉が亡くなったのは、大正八年のことで二十五歳であった。この一首は生前、その生活の一面を静かに詠ったものだ。石川啄木のような自己劇化の傾向がないところが私の松倉米吉が好きな理由である。雀が食べ物を探しにはいってきてもこの家には凍った茶殻がのこっているだけなのだ。具体がきいていて寒々しく寂しい一首である。           

  

かなしもよともに死なめと言ひてよる妹にかそかに白粉にほふ

 

菓子入れにしようと思っていた壺に肺病の血痰を吐き、夜中にそっと家の外の溝にひとりで捨てにゆく闘病生活だった。その米吉にも寄り添ってくれる女性がいた。そのひとを詠んだ歌が「かなしもよ」の歌である。もう一緒に私と死にましょうよと言ってくれる恋人。けれど彼女からは、この世に生きていたいという印のような白粉の匂いが仄かにしてくるのだ。米吉は抱き寄せながら恋人の心を寂しく読み取っていたのだろう。 

 

土ぼこりかすかなるかも電車道すれすれに舞ふ黄色き胡蝶

 

肺病だったせいか、埃が舞っているような空気を感じ取りよく詠んでいる。電車道すれすれに飛んでいく蝶は米吉の未来への不安な胸のうちかもしれない。「黄色」という色がそれでも明るさやあたたかみ、ちょっとした希望を感じさせる。

 

「不遇」という言葉で松倉米吉をまとめてしまえば簡単だが、その歌の柔らかさ、儚さは現代という時代にざわざわと生きている私の心を沈静させる。

 

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