数ふれば二万五千日を越えてをり君にわかれしそのかの日より

山川京子「桃の会だより」15号(2014年)

作者、山川京子は、1921(大正10)年の生まれというから今年93歳になる。数年前に「桃の会」を終刊したのだが、以降縮小して「桃の会だより」を出しつづけている。今年1月、第15号の巻頭「夕空」の冒頭にこの一首があった。

山川京子の夫である山川弘至は、1916(大正5)年に岐阜県郡上に生まれ、国学院大学に学ぶ。折口信夫や保田與重郎の影響を強く受けて、詩歌、評論に頭角をあらわす。詩集『ふるくに』、評論集『国風の守護』などを刊行するものの、時代は戦争末期、1943年召集を受け、終戦を前にした1945年8月9日、台湾屏東飛行場が猛烈な空爆に遭い戦死。29歳の若さであった。研究者として、また詩人として将来を嘱望するに足る才を示していただけに、その死が惜しまれる。折口も保田もその死を悼む言葉を残している。

若妻であった京子の嘆きはいかばかりであったろう。結婚生活はわずか三日であったという。この歌の「二万五千日」は、夫弘至の死からの日数、単純に365日で割れば68.5年という計算になる。京子は、弘至亡き後、その志を継いで「国風」を守るために歌の集まりを領導、夫の遺した書き物の再刊新刊に努める。詩集、歌集、遺文、書簡に至るまで京子の手によって弘至の遺文は刊行された。

数えてみれば、弘至の死から2万5千日を越す日々を、夫の志を守り続けてきたことになる。その茫々たる時間の長さ――

また弘至の故郷、郡上高鷲の地に記念館を設け、そこには夫妻の歌碑が、京子の歌はややこぶりの石に刻まれているという。

 

うらうらとこぶし花咲くふるさとのかの背戸山に遊ぶすべもがも   山川弘至

山ふかくながるる水のつきぬよりなほとこしへのねがひありけり     京子

 

「もがも」は願望、ふるさとの裏山に遊ぶ日があってほしい。しかし戦争はそれをかなえなかった。

「夕空」一連には、次のような歌が並ぶ。多くは語るまい。

 

一日だに思はざりしはあらずしていたづらに老いやがて終はらむ

君と見る夕空はかつてあらざりきわれのみひとりかぎりなく見し

美しきみこころ面影いちじるき君が訃かなし冬空さむし