一ノ関 忠人


家にてもたゆたふ命。波の上に浮きてし居れば、奥処知らずも

大伴旅人傔従『万葉集』巻17・3896番(730年)

*奥処に「おくか」のルビ。

 天平2(730)年、太宰府の長官であった大伴旅人が大納言に任ぜられて京に上る時に、旅人は安全な陸路をとったようだが、従者たちは海路を辿った。その時の従者たちの歌10首が、『万葉集』巻17の巻頭を飾る。傔従(けんじゅう)は、従者。

その内1首以外作者名を伝えていない。身分が低かったのだろう。にもかかわらず巻頭を飾るのは、当時からすぐれた歌だと認められていたということだろう。

 

磯ごとに海人(あま)の釣り舟泊(は)てにけり。我が舟泊てむ磯の知らなく(3892)

玉はやす武庫(むこ)の渡りに 天伝(あまづた)ふ日の暮れゆけば、家をしぞ思ふ(3895)

大海の奥処(おくか)も知らず行くわれを 何時来まさむと問ひし子らはも(3897)

 

このような歌が並ぶ。『万葉集』の中でも、とりわけすぐれた作と言って間違いない。ぜひとも声に出して読んでほしい。深々とした思いが胸に湧き起ってくるに違いない。

とりわけ今日のこの一首は、古代の旅の、しかも海の旅のいっそうの不安、動揺する心を巧みに表現している。古代の旅は、現在とは大きく違う。勿論、今でも海の旅の不安は、先般の韓国船の事故を思えば、払拭されているわけではないが、それでも古代の旅の不安とは違っているだろう。本来心落ち着くはずの家でさえ、時に不安な動揺を感じるわが命。それが定めない波の上に浮かんでいるのだから、奥底しらぬ深い動揺に捉われる。

折口信夫は、早くからこの歌に注目していた。折口の最初の著作と言ってもいい『口訳万葉集』には、「傑作」と評価する。ここにあげた三首の内「磯ごとに」、「玉はやす」にも「傑作」と評されている。ついでに「大海の」の「子ら」は子どもではない、いとしき子、つまり筑紫でなじんだ女性である。

折口が、この歌に敏感に反応したのは、単に短歌の鑑賞の上ではない。「此歌、思想に於て優れて居る」と『口訳万葉集』には、評しているように、折口の「思想」が問題だと指摘するのは、津城寛文氏である(「折口鎮魂説から『アトモスケープ』論へ」〔「現代思想」2014年5月臨時増刊「総特集折口信夫」〕。

その「思想」とは、津城氏はこう言う。「遊離魂の信仰であり、それに基づく鎮魂の呪術である。」折口の「歌はすべて、たまふり―鎮魂―の目的から出てゐた」という発言などを参照して、折口がこの歌の二句「たゆたふ命」に敏感に反応したのは、「生命が浮遊するという遊離魂信仰が古代日本にあって、それへの対処法として鎮魂呪術があった、そしてその鎮魂呪術の一つが言霊を発動させる歌であった」という。

魂が身を抜け出てしまうことへの怖れ、それを防ぎ、魂を鎮めるために歌うことの重要性が、この歌の背景にある。そして、その感覚は、今の私たちのどこかに残っている。それが、この歌に心惹かれる理由でもある。

私たちが作る短歌は、古代から同じ形式を使っている。その形式が、私たちの現在の歌にも影響を与えていると考えてもおかしくないだろう。古代との繋がりを意識した創作があっていい。