眼の悪き富榮が太宰に命じられ眼鏡はづして歩む三鷹は

日置俊次『ダルメシアンの壺』(2014)

 

不思議な読後感の残る歌集である。近代の作家の時間を歩きながら、作者の生活の時間も同時に感じられる。志賀直哉、夏目漱石、芥川龍之介、森鷗外、太宰治など作者の研究している文学者を題材に研究者の眼から見る細かい生い立ちや、人間関係などがリアルに詠まれている。

この一首も、太宰治と心中した山﨑富榮のことを詠んでいて、二人の関係性が見えて来る。富榮という人はいつもは眼鏡をかけていたのだろう。それでも太宰といるときは「命じられ」眼鏡を外して歩いていたのだ。

章ごとにそれぞれの文学者についての註が長い文章で書かれていて、家紋も紹介されてある。これを読むと知らなかった事がほとんどで、幸せな幼少時代を送った作家はほとんどいない。それぞれの作家の傑作はそのような生い立ちに原点があるように思われ、興味深い。

 

黒板を消しをれば「感動しました」と蒼き爪紅き爪が来ていふ

会議通知われのみ届かず嫉妬ぶかき教授のむれが歩みゆくなり

 

このような研究をもとに作者の大学での講義は立ち見がでるほどの人気だという。一首目のように女子学生が講義後に感想を伝えに来るほどだ。だが、二首目のように教授たちに嫉妬され、大人げない嫌がらせをされている。ドラマを見ているような怖さがある。

 

ダルメシアンの片眼青きは「失格」と定めたりいつかたれか知らねど

鍼生えていま針鼠なるわれの背の畝ふかく痛みの根がつながりぬ

(かう)(ほね)がいつせいに小さき花ささぐうすき皺よる五月の池に

 

歌集には恋人のようにかわいがっているダルメシアンが出て来る。作者がゆずられたこの犬は片目が青く(歌集の裏表紙に写真がある)規格外の犬となので繁殖をさせてもいけないそうだ。そんな人間が勝手に決めた運命を負った犬は、静かに作者の日常を支えているように見える。また持病の治療のための鍼の歌もさまざまあって面白い。私も腰などにうってもらったことがあるが、二首目のように「針ねずみ」とあるから相当の数の鍼をうってもらっているのだ。下の句の比喩に痛みのしつこさがよく表われている。

三首目の河骨は水生植物で黄色いかわいい花が咲くが、こういった自然詠も丁寧に詠まれていいと思った。「ささぐ」という動詞や下の句の池の面の描写に繊細さがある。

あとがきには作者の作歌姿勢も書いてあり、連作を作る意欲と方法がよくわかる。実母を介護しながらの作歌生活であったという。