前田康子


指先より冷え初むる朝ポケットの切符の稜(かど)の尖りたしかむ

三島麻亜子『水庭』(2014)

 

秋から冬に変わろうとしていく日の朝、電車の切符をポケットに入れていてそれを指で触れている様子だ。この動作は無意識のうちによくやっているものだと思う。ちくっと堅い切符の角の部分を確かめながら、指はもてあそんでいるようである。「稜の尖りを」と詳しく言っていて、見えてはいないが、触覚でたどっている部分が強調されて伝わってくる。

 

三人掛けの席ひとつ空けて座すやうな距離を保ちて運ばれてきた

 

「距離を保ちて」というところに相聞の気持ちを感じる。上の句の比喩がよく伝わってくる。隣同士に座るのではなく一人分をあけて座るような二人の距離。それを保ったまま長い時間が経ったのだ。遠く離れてしまうのでなく、そばに寄り添うのでもない微妙な距離を、作者は少し寂しく思っている

 

ひざに置く鞄の底に金属のマイカップあり欠けるを知らず

 

このような歌も通勤の場面で詠まれているように思った。マイカップはエコのために持ち歩いているものか、オフィス用かもしれない。割れないように金属製のものを持っている。鞄のなかでその形だけが丸く目立って存在がわかるのだ。「欠けるを知らず」当たり前のことを言っているのに逆に説得力がある。

 

如月に生まれし我のほんたうは夏が好きよと言へず鎮もる

「この雪の白さを君に送ります」幾度撮りても白のもつ闇

 

こういう歌も印象的だ。二月生まれならその人は二月が好きだろうとか、冬に強いだろうと言われたりする。作者はそんなことを言われ続けながら、本当は夏が好きだったのだ。しかもそれを言えず会話の場面で黙り込んでしまっている。確かに強く主張して言うほどのことではないだろうけれど、自分のなかの拘りの部分を大切にしたい気持ちがわかる。

二首目は真っ白な雪景色を写真に撮って相手に送ろうとしている。しかし撮っても撮ってもそこには青白い闇が写っていた。混じり気のない白さを送りたいのに、よく見ると雪には闇があるということ。それは作者の心の動きにもどこかつながっていくような気がする。

 

いま斬りし紫陽花がもう萎えてをり唐突に湧く生への固執

 

咲いている紫陽花を切って、それが思ったよりもすぐに萎えてしまった。そのちょっとした落胆が生きる意識へ変わる瞬間となった。理屈を越えたエネルギーを感じた。