一ノ関忠人


薪伐る鎌倉山の木垂る木を松と汝が言はば恋ひつつやあらむ

東歌『万葉集』巻第14・3488(8世紀)

*薪に「たきぎ」、伐に「こ」、木垂に「こだ」、汝に「な」のルビ。

 

短歌実作講座のために鎌倉に二ケ月に一度通っていることは前回に書いた。鶴岡八幡宮の背後の山の緑に埋もれるような場所に教室があって、四時の自然の移ろいがこれまた楽しみの一つである。場所柄なのか、今まで岡野弘彦の指導を受けて来たからなのか、教室には古風な歌を作ろうとする者が数名存在する。年輩の方々でも新かな、口語文体が当たり前のようになってきている他の教室にくらべて、これは珍しい。そう思って、たいせつにしているのだが、9月の教室で珍しい言葉に出会った。

まず「すはえ(すわえ)」――

この語を即座に理解できる方は、よほど教養があると思われる。あまりお目にかからない言葉である。提出された作品は、この言葉が不自然に感じられて一首としてはどうかという出来だったが、こうした今では使われないけれども、美しい言葉はぜひ残ってほしいと思っているので、その意欲を認め、この語が活きた形で使われた一首をぜひ、と評した。

さて「すはえ」とは。

漢字では「楚」、「楉」、「杪」と書く。木の枝や幹から、まっすぐに細く長く伸びた若い小枝。またむち(鞭)の意味でも使われることがある。「木(樹)」という出題だったから、この語が活きて使われれば、よい応じ方になったはず。

この日は、もう一語あっと思う言葉に出会った。「木」が題であり、また鎌倉であるから、当然歌われてよい言葉である。その一語が、今日のこの東歌に使われている。

どの語だろうか。

 

答えは、「木垂る」である。樹木の枝葉が繁茂して垂れ下がる。こちらの語を使った歌はまずまずであった。辞書にこの語を引くと、用例としてこの歌が引かれているから、『万葉集』の時代から存在する語である。

 

東(ひむがし)の市の植木の木垂るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり 巻第1・310

 

他にこのような万葉歌もある。市には指標になる樹木が植えられていたという。この東の市には何の木が植わっていたか分からないが、その木の枝葉が垂れ下がるまで長く逢わないと嘆く恋の歌である。

東歌の一首は、「薪伐る」は、たきぎを切る鎌の意で、鎌倉に掛かる枕詞。上三句は「松」を引き出す序歌的表現(序詞)。「松」には「待つ」が懸かる。

訳しておこう。鎌倉山の枝葉の茂り垂れ下がった木を松という。その松ではないが、おまえが待つと言ってくれたら、こんなに恋い焦がれていることがあろうか。待つと言ってくれという恋歌であろう。

頼朝が幕府を置くずっと以前から鎌倉はこのように歌われ、知られた風土であった。東歌には次の歌もある。

 

鎌倉の水越(みごし)の崎の岩崩(く)えの君が悔ゆべき心は持たじ   3365

まかなしみさ寝に我は行く鎌倉の美奈能瀬(みなのせ)川に潮満つなむか 3336

 

受講者が使った「木垂る」という語、こうして見て来ると魅力的な古語である。どこかで使ってみたいものだ。