前田康子


大口を開けて己の重たさにうなかぶすダツラの煙雨にそぼつ

楠田立身『白雁』(2014)

 

「ダツラ」は「ダチュラ」や「朝鮮朝顔」「マンダラゲ」などともいう。夏ごろから大きな花を咲かせ、私の近所では同じ種類の「エンゼルトランペット」がまだ咲いている。薬用植物でもあるが毒性も強い。華岡青洲がこの花の成分から麻酔薬を使用し、手術を成功させたことでも知られている。

「うなかぶす」は「うなだれる」といった意味だから下に垂れるように咲いている様子で、花の開いているのを「大口を開けて」と描写している。大きな花を「己の重たさに」と詠み、ダツラの花の見事な感じや美しさを詠もうとしているのではないようだ。花自身が自分の存在を疎ましく思っているように見えてくる。結構長い時期、変わらずにあの大きな花が垂れ下がり咲き続けるので妖しいイメージもこの花にはある。花や根をあやまって口にすると幻覚を見るというから、雨に濡れているダツラから少しずつ微量の毒が流れ出ているようでもある。

 

姜尚中のオモニもわが家のオフクロも子のため(がま)()しき泥のごとくに

 

姜尚中の『母 ―オモニ―』という本は私も読んだが、戦中戦後を家族を守って生き抜いた在日としての壮絶な母の物語だ。楠田もまた八歳の頃、家族とともに脱北し引揚者として日本に来た。この歌の「精出(がまだ)し」は熊本などの方言で、文字通り、「精を出す」「がんばる」という意味だが、迫力のある言葉だ。「泥のごとくに」には汚れても、さまざまなことの犠牲になっても這いつくばって生きた母の姿が浮かぶ。

 

(よはひ)四十六億年の星に存へて悪腫瘍など何のこれしき

癌にまつはる切り抜き癌を病みてより始めたり甲斐なきことをするかも

 

作者は老いて大病を患った。腰痛で入院したところ大腸癌が見つかったという。しかし、一首目のようなあっけらかんとした歌があって読むほうは少しほっとさせられる。自分の病気の腫瘍など46億年もの年をかさねた地球にくらべてみるとちっぽけなものだと感じている。または感じようとしているのだ。

二首目は手術も終えて退院を待っている頃の歌。新聞や雑誌に載っている病についての記事を切り抜いて集めている。「甲斐なきことをするかも」と言っているが、病と真正面から向き合う強さは、作者の母の強さに通じるものがあるかもしれない。

 

癌病みて死なざりし身にむず痒く蓮華畑の香がよみがへる

子どもらが路地にて交す〈さやうなら〉春寒をこもる書斎にとどく

 

病を越え、日常にもどった身はやさしい春の花の香りを喜び、子供たちの声に耳を傾けている。「むず痒く」にはむずむずとした命の根源のようなものが見えてくる。「路地」で交す言葉にもどこか人間や現世への懐かしさが感じられる。